【2】ダイブツ塾設立までの経緯

【2】ダイブツ塾設立までの経緯

(1)大病と闘い経営の本質を体得

しかし不幸は突然やってきた。長年の無理がたたり糖尿病が悪化し、慢性じん不全から人工透析になるという大病を患ったのだった。何度も発作で死にかける地獄も見た。「自分の人生はもう終わりだ」と自暴自棄にもなった。それはもう地獄を這うような苦しみだった。何度もくじけそうになった。しかし、その度に 「何くそ、負けてたまるか」と、「お前は自らの志を失ったのか?」と自分自身に問いかけた。そして、この志を胸に長い長い大病と闘い、死闘の末、立ち直ることが出来たのだった。

そして、この闘いを通じて、わが師・松下幸之助が、経営の極意と伝えた「素 直な心」がなんなのか、その本質を自らの身体で体得することが出来たのだっ た。病弱で結核を患い何度も死にそうになった師匠・松下幸之助が長年の苦労の末につかんだ「経営の極意、素直な心」。師匠と同じ大病を乗り越えることでつかみ取ることが出来たのだった。

(2)チェンジ・リーダーに必要なカリキュラムの全体像を構想、設計。

その後、この経験を生かして、かねてよりの志、「チェンジ・リーダーをこの手で育てたい。第2の松下幸之助、第2の本田宗一郎をこの手で育てた い。」を実際に実現しようと動き出したのだった。「素直な心の本質を自分なりにつかんだ今なら、やれるかもしれない」胸からこみ上げる衝動が彼を突き動かした。そしてこの時から具体的な構想、計画、設計へと進んでいった。特にどうしたら本当にチェンジ・リーダーが育成できるかという点に力点が込められた。チェンジ・リーダーを育成するためには、 「胆力」と「実践力」を鍛え上げることが一番重要。しかし、世の中にそのような教育プログラムは存在せず、まったく独自にゼロから生み出す必要があった。

自らの30年間の改革人生のすべてを総動員した。特に自分自身、改革の壁にぶつかってもがいていた時に、何を勉強したか、何を学んだ時に一番力になったか?また経営の偉人たちが、修羅場を乗り越えるときに自己啓発として何を学んでいたのか?じっくりと調査し、考えた。そうしておぼろげだが全体のグランド・デザインが出来上がった。苦心惨憺の末他では見たことがないカリキュラムとなった。

(3)ダイブツ塾としてここに開塾

しかし、全体像は出来たものの、頭を冷やして冷静に考えるとあまりにも広範囲にわたり、自分一人ではとうてい教えられそうになかった。人に教えられるほど十分マスターしていないものもたくさんある。「さあ、どうしようか?」 つまりジグソーパズルのピースが足りないのであった。さてそれからは、いかにしてこれらのパーツを作り上げるかが次なる課題となった。

パーツに当たる各科目の教材の開発。これには、実際の企業で日々依頼された講義を行う中で、一つ一つ開発し、また受講生を前に実際、講義を行い、検証を重ね、何度も練り直すという途方もない時間がかかった。しかし、 千里の道も一歩から、焦ることなく、一つ一つ積み上げるしかなかった。そして 10年の月日をかけ、ようやくすべてのパーツが完成した。

勿論、パーツが出来ただけでは全体として完成はしていない。それらパーツを体系的に整理し、全体のカリキュラムを練り上げ、経営者育成のテキスト、ビデオとして統一性を持たせ、ようやく教育プログラムとして完成する。 そして今日こうしてダイブツ塾として日の目を見ることになったのであった。


第三章「建塾物語」


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