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松下幸之助経営の秘密 社会変革者としての松下幸之助 後編

 宇佐美 ……実は前回、お話ししたあとに、皆さんにアンケートを書いて戴いたんですが。出られなかった方は……こちらの方ですね、主にお話しした内容は、ちょっと振り返りますと、どういう生い立ちをしていたのか、あるいは思想体系樹というのを、お話ししましたね、いろんな思想があるんだけれども、幹もあるし、根っこの部分もあるよと。根っこの部分では、幸之助さんの生い立ちから人生観、あるいは世界観、これが根っこにあって、そこからいろんな考え方が出ているんですよという、そういうお話をしました。

 それから、カップラーメンの話、覚えておられるかと思います。これはどういうことかというと、いまいろんな形で、書物とかビデオを通して、「松下幸之助思想」というのがいろんな形で出ているけれども、本当のところは、ものすごく、執念だとか厳しさとか、あるいは思い入れ、貪欲さというのが、実はあって、それはちょうどカップラーメンと本物のラーメンの違いのように、途中で味やコクがなくなっちゃって、それで大量生産はされているんだけど― カップラーメンのように― 本物の味が、どっちかというと、失われているんじゃないかということのお話をしたと思います。

 それからもう一つは、松下幸之助さんの思想・理念を勉強する時に、非常に重要な態度がありますよということで、四つの態度について、お話をしたと思います。一つは、まず信奉的態度ということで、なんでもかんでも、松下幸之助さんのエピソード、あるいは考え方が偉いんだということで、盲目的に信奉してしまうというのが一つあると。それから二つ目が批判的態度と。確かにそうはいわれるけれども、それは古い時代の考え方なんだいまは通用しないんだという形で、批判的に受け止める態度。それから三つ目が、非常に分析的な態度ですね、いろんなことを、「ああいうことも言われた、こういうことも言われた」ということで、それを客観的に学問的に分析していく態度。

 いままでの考え方というのは、このような態度が多かったんだけれども、私が申し上げたのは、「建設的な態度」で臨まれたらどうでしょうかということを、申し上げたと思います。それは、ただただ言われることを、そのまま拝聴して、「ああ、立派だな」とか、「ああ、なるほどな」というんじゃなくて、そのことを自分でやってみる、体験してみると。その中から試行錯誤を繰り返していって、最終的に、「ああ、なるほど、このことが言いたかったのか」というようなことが分かるということで、お話ししたかと思います。
 それで、その話を受けて、いろんな方からちょっと、アンケートを戴きまして、今日どんなお話をしようかなと思って、いろいろ考えたんですが、ちょっといくつか、ご紹介をさせて戴きたいと思いますが。

 江口さん、この「建設的な態度で臨むために必要なことや、具体的な方法を教えてください」と。確かにそうですね。実は今日はそのことを受けて、私がどのように、建設的に取り組んできたのか、その体験談を交えながら、お話をしたいと思います。

 それから水野さん、私は「経営コンサルタント」だということで、自己紹介をしましたんで、「そのへんのことを、もう少し、経営コンサルタントの立場として、具体的現実な話をしてください」ということでしたね。なるべく今日は、私が経験を踏まえながら……実は私の立場というのは、非常に恵まれたというか、あるいは非常に特殊というか、立場でありまして― 前回も、ちょっとお話をしたと思いますが― 塾卒業生が百六十名ぐらいいますかね、いままでに。で、その中で松下電器の中枢で、全社的な形で働けるというか、そういう経験をさせて戴いたのは、私一人なんですよ。

 松下の社員になった方というのは、二、三、おみえになるんですが、その方はいわゆる本当の「正規の社員」という形で、それこそ雑巾がけから始められているんで、そういう大きな……というところの仕事は、なかなか経験してないんですね。私の場合は社員でありませんでしたから、たまたま、契約という形で、そういう中枢の仕事をスポッと入らせて戴いたというのが、一つです。

 それと、経営を勉強するのに、私自身が、大学時代の専攻も「経営」でしたし、いろんな生い立ちの絡みがあって、経営については、非常に「追求しよう」という、自分なりのライフワークでもあったということで、非常に他の塾生、卒業生では、経験しえないようなことを経験しましたんで、その辺のお話を、ちょっと今日はまとめてしたいなと。ですから普段では、普通の他の卒業生、茅ヶ崎研修で、ちょっとお化けみたいな、小田全宏みたいな話を聞いたりですね(笑) ……されたと思いますし、小野晋也のような、ちょっと魂の塊のような話も聞いたと思いますが、ちょっとそれとは違う角度で、話をしたいなというふうに思います。

 それから……そうですね、川端さん、どちらにおられます? あぁ、はいはい。「松下幸之助さんは、非常に強欲(貪欲?)な人だという話があったけれども」と、前回、そういう話をしました、「これは松下さんの生成発展の信念から、強く滲みでたものじゃないでしょうか」。

 私も、これそう思うんですよ。ですから、今日のお話の締めくくりは、非常に皆さんに持って帰って戴いて、得する話をしたいなと思うんです。というのは、松下幸之助さんというのは、いったい何を考えて生きてこられたのか、何が成功の秘密だったのかというのを、私なりにまとめてお話をしたいなと。ですから、途中で帰られる方がいますけども、そこまで聞かないと損ですから、ぜひ最後まで残って聞いて戴きたいと思います。

 それから島本さん、「自分の会社でも、いま経営理念を形成しようとしています。その中には、皆の意見を集約させてまとめるべきだという考え方もありますし、またトップが考えるべきだという考え方もあります。経営理念を作成するにあたって、幸之助さんはどのようなやり方をされたんですか?」。

 これは直接関係ないかもしれませんが、私自身、今日お話しする話は、経営理念をずっと自分の体験を通じて、深堀をしてきたというところなんで、かなり参考になるかなと、そういうお話をぜひしたいと思います。

 一応、松下幸之助は「お客様第一」ということなんで、お客様の声を聞かせて戴いて、今日はそういうお話をしたいというふうに思います。

 それでは、まず最初に、ちょっと……岩田さん、いろいろいままで勉強されたと思いますが、どうでした、政経塾のいままで、いろんな講師が来て、「松下幸之助の経営理念」とかいう話を聞かれたと思うんですが、自分なりに結構勉強されてると思いますが……?

 岩田 一番最初、ここに政経塾に入るまでは、松下幸之助さん、僕らからしたら、もうだいぶ世代が違う、そういうので、「経営の神様」ということと、PHPというのを創ったということしか分からなかったんですが、そうじゃなくて……いままで小野さんとか、塾生の、塾出身の講師の先生のお話を聞いて、すごく日本を憂う、日本のことを思って、すごく夢をなにか創って、なくなってきた夢というか、日本が見失いそうな夢を、なにか頑張って創っていこうというか、少し、雲の穴……穴じゃない、薄日をさすために、すごく上のほうで努力してくださったんだなというのと。

 こんだけのことを考えるというのはやはりお金があって、余裕があったのかなというとこも、少しいろいろと、政経塾の本分にはあるかなと。これだけの心の余裕というものを持ってる、銭の余裕を持ってるから、心の余裕ってやはり生まれるのかなというのも、少し思ったんです。 

 宇佐美 なるほどね。いまのお話、非常に今日お話しする話と、合致しているところがあって。最後に、「松下幸之助の銭儲けの秘訣」を、今日お話しします。これは私自身、実践してまして、金儲けするための極意みたいなもんです。実際そのことがないと、たぶん、いま言われたように、前向きなこととか、夢とかいうことは、語れないだろうなと。 2期生の方には、以前、お話をしたんですが、いま、何か自分で事業をしたいと、私も自分で経営コンサルタントの会社を興しましたんで、よく切羽詰まってるんですが、自分で事業を興したいとか、自立して何かやりたいという時に、奥さんとかお子さんとか、相談しますよね。だいたい納得して貰おうと思うと、自分のいまの手取り、年収の三倍の蓄積がないと、納得してくれないそうです。

 それはどうしてかというと、いま、いろんな会社の開業資金って、だいたい二千万ぐらい掛かるそうなんですが、それと生活の不安、そういうものがやっぱりあって、そのぐらい掛かると。開業資金とか何かをさっ引いても、半年はやっぱり余力がないと、まず間違いなく、打って出るということができないというんですね。

 実は松下経営の哲学の一つに、「ダム式経営」というのがあると。今日、皆さん、ちょっと事前にお読み戴いたかと思うんですが、コピーがいってましたかね、皆さんのとこへね。日野さんという、松下幸之助さんの大番頭をされてた高橋荒太郎さん、この方は経理全般および人事とか、管理全般を見られてたんですが、この大番頭の下で、非常に名高い松下経理システムという、それを創られた方なんです。

 話があっちゃこっちゃしないように、前回もレジュメが一ページだけ終わっちゃって、全部あれだったんで、今日は整然と話したいんですが。

 実は私は、その松下の本社の経理部という所にお邪魔をして、ですから最初はそういうことは、全然知らなかったんです、後々聞いて、勉強していったら、まさにそれが松下の神経網というか、あるいは経営の成功の哲学を凝縮したような、そういう非常に重要なポジションであったと。非常にある意味では、いま思うと、非常にラッキーだったんですがね。

 そこにいろいろ書いてありますが、そこでいう「ダム式経営」というのは、まさにいま言われた、「お金のダム」、これが心のゆとりを生み、あるいは人のゆとりを生み、次に打って出る飛躍の大本になるんだという。いままで皆さんは、松下幸之助さんのいろんな経営哲学とか、あるいは思想とかを勉強されていると思うんですが、あの方は反面、非常に合理主義の塊でもあったと。前回、強欲(貪欲?)だという話を申し上げましたが。

 そのいろんな思想が、実は経理システム、経営・経理システムの中に、具体的に制度として落としこまれてて、それがあるがゆえに、非常に奇蹟的な成長をしたと。ですから理念というものが上にあって、かつ、人を育て、教育し、いいところを見て抜粋する(抜擢する?)という人事という、どっちかという非合理、そういう横糸と、まさに合理の塊というような、そういう経営管理システムが縦糸になりながら、あの成長を生んでいったということですね。

 ちょうどたとえると、いい服というのは― 私のやつは安物ですから、そうでもないんですが― いい紳士服というのは、裏地が非常にいい物を使っているそうですね。ですから私の体験は、どっちかというと、表から見える松下理念というものもさることながら、その裏側に入り込んでいって、その理念がいったいどういう具体的な仕組みで構築され、具体的にどういう管理システムとして定着しているのかということを、勉強していった、しかも経験の中から勉強していったということですね、それが非常に強かったと。 

 ですから、私が松下にお邪魔をしてからの経歴を踏まえながら、「どんなことを考えたのか」というところを、ちょっと今日はお話をしたいなと思います。前置きが長くなりました。

 皆さんの資料にお配りしている中に、大きい見開きの、このA3サイズというんですか……B4、うん、それですね、それの最初のやつを見てください。実は私が最初に松下電器さんのほうで、お邪魔するきっかけになったのが、ここに書いてあります、ガンダムというパソコン通信がきっかけになりました。上のほうは、日経ビジネスさんに取り上げて戴いたやつなんです。下のほうは社内報に出た分ですね。 

 下のほうを見て戴くと、「経理ビジョン90、合言葉はガンダム」ということで、左側の上に写真が載っております。これは当時、平田副社長、皆さんにお分かり戴くには、MCAの買収、いま新聞などで騒がれていますが、当時、買収の総責任者にあたられた方はこの人です。当時、財務の責任者で。長年、ビクターにずっと勤められてて、ビクターで副社長までされたんですが、松下を大きく変えたいという創業者の思いがあって、この人を電器産業の経理の担当取締役に迎え入れたんですね。

 この方が専務の時に、「ビジョン90」という、どっちかというと松下というのは、非常に泥臭いイメージがありますでしょう、商売人で、どっちかというと、金儲けの権化みたいなとこがあって。「それでは、これからの時代を乗り切れないだろう」ということで、まさに文化革命のようなことをやろう……ということをされたんですね。その切り札ということで、この「ガンダム」という、パソコン通信のネットワークを創ろうと。

 この上の写真に出ている女の子、彼女はいま、電子メールで、この平田副社長に直接電子メールを送っているとこです。これは文書の中身は、下に書いてあるように……この下の文章ですね、「平田副社長殿、『ブレークスルー』というスローガンが出ましたけれども、非常に― こういう感想を持ちました― 非常に活き活きとした文章ですね」なんてことを、新年の最初に副社長が言ったことに対して、そういう反応のメッセージが、ダイレクトで行くと。

 これまでの会社というのは、非常に大きかったですから、下の思っていることが、上になかなか伝わらないとか、あるいは横のセクションでやっている情報が、隣のセクションに伝わらないとかいう、それが一種の、血管が詰まったような状況を起こしてましたんで「そういうことではいかん」ということで、「風通しのいい会社にしよう」ということで始めたのが、実はこの「ガンダム」というシステムでありました。

 当初、経理部がやりますから、そうすると、経理というのはご承知のように、せいぜい算盤から電卓、パソコンぐらいまでで、それも専門家じゃありませんから、そういうネットワークを引くということになると、情報部門の力、援助が要るということなんですが、ところがなかなか情報部門も、当時としてはまだ新しい、この電子メールや電子会議でしたから、なかなか理解を示してくれないということもありまして。

 それと、松下電器というのは、非常に全世界広いですから、当時で三〇ヵ国一二〇拠点ぐらいあったんですかね、国内は一応やれたんだけれども、海外を引く人間がいないかということで、この平田さんのもとにプロジェクトチームができて、そのプロジェクトチームで、人を探してたんですね。

 ひょんなことに、私が、同じような形の思いを持ちながら組織を変えたり、あるいは人間を活性化させる目的で、アメリカにパソコン通信の研究に行ってたんです。当時、国際的なパソコン通信の研究というのは、なかなかやっている人がいなくて、僕を除いて、他に一人いるかいないかぐらいの時代でしたから、同じ松下という関係もありまして、ある所で私の名前を聞きつけて来られて、「来ないか」というお誘いを戴いたんですね。

 私も、「いくつか条件はありますよ」と言いながら、「松下の風土は、私は嫌いです」と、政経塾で何か押しつけられるようなところがあって、何か、いわゆる「ださい所は嫌いなんですが」つったら、「いや、うちはそんなださくないから」と。確かにそうだったんです、この平田さんのもとで、何でも好き放題やれるような、そんなところがありましたし。「私は松下のコンピュータは使いたくありませんよ」と言ったんですよ、そしたら「いいですよ、うちにはマッキントッシュがありますから、それをお使いください」。これはしめたもんだと。それともう一つ、決め手になったのは、「これで世界一周旅行が人の金でできるな」ということで、それが大きなインパクトになりましたね。 

 他からも誘いはあったんですが、この創業者が創った会社というのも、理念を勉強する上で、非常に面白いんじゃないかと、そういう動機があったんですね。いくつかの動機でそのお誘いに乗ったんです。いま思うと、「まんまと騙された」というか、そういうものもあるし、あるいは「良かったんだろうな」という部分もあるし、いろんな錯綜する思いがあるんですが。

 実はここへ入りました私のミッションは、当初、当時は契約社員的な扱いなんですね。ですから会社と私個人が契約するという、松下で他に例がなかったんですが、私が最初ということで、それで契約書を作りまして。プロ野球選手と全く一緒、「年俸いくら」という金額を決めまして、非常に宙ぶらりんな身分です、その中で一応、お手伝いをすると。 私のミッションは、全世界を回って、パソコン通信のネットワークを繋げるということと、それを運用して、いろんな業務改善に使ったりとか、仕事に使えるようにすることですね、それがミッションで入ったわけです。それまで、政経塾で皆さんが勉強されたように、幸之助さんの経営哲学とか、あるいは世の中をどう変えたいとか、そういった、本で聞いた(読んだ)部分、あるいは何回かお会いした中で、勉強した部分しかありませんでしたから、私も、「松下の中っていうのは、いったいどうなってるのかな?」という、半分、好奇心もありましたね、当時は。

 入ったんですよ、入って、正直申し上げますと、「幸之助の言っていたあの理論というのは、現実とはえらいちゃうやないか」というところが、随所にぶつかっていったわけです。例えば、本社でもパソコン通信を拡げますから、関係する事業場というのは、二百、三百、たくさんあるわけです、国内だけで、海外でも百近くあるんですね。その持っているパソコンが、事業場によって、ことごとく違うんですよ。片一方は富士通を使って、片一方はIBMを使ってる、片一方は松下を使ってると。それもモデルも違えば、全然違うんですね。それからホストコンピュータも、それぞれ、全く別々。

 当時、いろんなコンピュータの本を読んでますと、松下電器というのは、コンピュータの造りでは、一番悪い事例で出てくるんです。それはどうしてかというと、当時はまだ、大型コンピュータで集中処理をする時代でしたから、いわゆる資源を集中させて、一箇所でコントロールしたほうが、効率が良かったんですね。ところが松下電器というのは― これから話します事業部制ということで― それぞれの事業部が個々にコンピュータを持って、それぞれに運営していたと。これだけコンピュータの資源の無駄遣いはないというか、ロスはないという、教科書に出てくるぐらいのものだったんですね。

 それから、そのパソコン通信の中でいろんなコーナーを設けまして、「会議室」をつくろうということで、松下の将来とか、あるいは現状の問題点について、若手の― 皆さんぐらいの年齢ですが― ディスカッションしようというコーナーをつくったんです。

 ところがこの中に、例えばある人間が書いた言葉があって、「いまの海外出張の決裁願いが、その当時、本部長かなんかまで、はんこを貰わないと行けない、とにかくはんこが四つ五つで済まない、これはおかしいんじゃないか」ということを、パンッと書いたわけですよ。そうしたら、私はそのやつを、パッと入れた瞬間ぐらいに見たんですね。ところが三時間後に消されてまして、「あれ、どうしたんだ?」つって本人に電話したら、「いや、検閲がありまして」って。

 「検閲ってだれからだ?」って、「いや、上司が『こんなもの書いたら、俺の立場がなくなるから、書くのをやめてくれ』と」言われたり、「おかしいな、そんなことはないはずだ。松下幸之助は、『下の思ってたことを、どんどん聞きなさい、そのことが上司の仕事であるはずだ。半分ぐらい、下の意見を聞くことが上司の仕事だ。言うてきたら、よく言うてきたというふうに褒めなさい』というふうに書いてある。書いてあるし、ビデオでも見た。なんでこんなことが起こるんや」とかですね。

 あるいは、その場所で話してる、電子会議で議論をしているメンバーが、「もう書けなくなった」という電子メールを、私に入れてくるんですよ。「どうしたんだ?」つったら「いや、上司に怒られました」、「なんで上司に怒られるんや?」、「いやいや、私の仕事は、いろいろパソコンに向かって、データを打ち込むことであって、事業部の中で作業をすることであって、皆でもって、そういうことを話し合うことじゃないんだ、『お前は事業部の中の、あるセクションの、この仕事だけをやってればいいんだ』というふうに、上司に怒られた」というわけですね。「いや、そんなのおかしいはずだな。私が知ってる松下の理念とは、ちょっと食い違うな」とかですね。

 事ほど左様に、そういうことがありまして、「おかしいな、幸之助さんの言っていることと、現状の実態があまりにも食い違うな」ということが、頻繁に出てくるんですよ、事ほど左様に。この仕事をやっていた時は、特にそういうことなんですね。

 面白いことに、社長はね……副社長ですがね、副社長が「やれ」と言っていることで、それぞれの事業場へ行くでしょ、いろんな所へ行くんですが、普通だったらやりますよね多少お金が掛かったってやるんですが、面白いことに、松下は事業部の収支が合わなければ、要するにお金がなければ、「やらない」というんですよ。おかしな会社だなと、副社長でトップが「やれ」言うてるのに、やらないというんですね。「こんな会社があるんやな」と思って。その時はそういう、パソコン通信をやっている時は、そういう感じだったんです。 

 事ほど左様に、いろんな松下の理念、哲学があって、例えば「ダム式経営」とか、「自主責任経営」だとか、「全員経営」だとか、あるいは「無借金経営」だとか、皆さんが知っておられるだけでも、かなりたくさん、いろんな考え方があるんですが、私自身、一番その時に不思議に思ったのは、「事業部制」なんです。

 結局、なんだかんだ、全体的なことをやろうとすると、全部事業部制に引っ掛かって、同じ会社の中でありながら、その調整とかネゴとかいうので、ものすごい時間が掛かる、同じ会社の中でありながら。それも私の立場は「本社の人間」として、ある意味で権威もあり、それなりに強制力もあるんだけども、全然動かないんですね。

 ある時なんかは、十万円のパソコンを買うのに、事業部長の決裁が取れないと。儲かってない事業部じゃなかったんですけど、そういうことがあって……。当時、一年半近く、この仕事をさせて戴いたんですが、まさに「事業部制って何だろうな」というのが、仕事をやりながら、つくづく、矛盾というか、感じてたとこなんです。

 実はそのことが決定的になったことがありまして、それがその次のページに書いてあります。

 そうこうしているうちに……ちょっと3期生の方、1期生の方には、ちょっとまだお話ししてないんですが、いまの私の仕事は「ゴーストバスターズ」というんですが、松下の中で、パソコン通信を拡げたと。使えるようにして、そのあと、いろんな合理化の仕事、効率化の仕事に取り組みだして、特別チームをつくって、本社から各事業場に行って、いろんな改革の助っ人をやりはじめたんです、支援チームをつくって。

 その時に、実はテーマが「千八百時間をやろう」と。いまから、バブルのちょうど終わりぐらいの時ですから、九一年ぐらいでしたかね。それで、ここに書いてあるように― これも雑誌に取り上げて戴いたんですが、この下のほうが、その記事なんですがね― ポイント1という所、ご覧戴けますか。「現場を巡回し、改革の支援を行う本社部隊をつくった」ということで。

 「まず、松下の経理が置かれている特殊な位置について、説明していこう。同じ経理でも、一般の会社のそれとは、かなり内容を異にしている。松下の経理というのは、経理処理だけではなくて、経営管理に主眼がある― 先ほどお話ししたように― 非常に独立採算性が強い事業部に駐在して、本社の神経網の役割を果たすともいえる」。  

 要するに、江戸時代の江戸幕府を思い浮かべてください。幕府というのがあって、それぞれ各藩、これは事業部だと思ってください。昔は生かさず殺さずで、悪さをした所はお取り潰しとかいうのがありましたね。あれと全く同じです。ですから、お目付役というのが各藩におりましたから、ちょうどそのお目付役のような役割をするのが、まさに経理社員というような位置づけです。

 人事権は全部、本社の経理部にあって、各藩にお目付役を配するわけですね。そのお目付役は藩主を、それぞれサポートするという立場にあると同時に、幕府にもその情報を伝えるという、二君に仕えるというか二人のボスがいるという、そういうような感じです。 「当然のことながら、全ての情報は経理に集まってきます。それだけでなく、社長の決断とか製品開発、販売のそれぞれの結果が、一枚一枚の伝票として、それが全部経理に集結してくる。要は最終的に経理に、事務の皺が寄ってくるということです」。

 松下全体が二十万人ぐらいいますが、経理社員というのは二千五百人― とんでもない数だと思うんですけれども― そのぐらいおります。当時、その間接業務を効率化するためにそういう部隊をつくって、支援に行ったということですね。

 実際の事例が、このポイント2という所に、ちょっと書かれています。実はここで、私が仕事した話が、ここにずっと書いてあるんですが、ここでまさに事業部制ということに対して、決定的な疑問を持ったんですね、そのへんのお話をちょっとしたいと思うんですが。

 「この九〇年六月から、本格活動に入ったゴーストバスターズ― 私の部隊です― が首都圏ハルス支店という所に向かった」と。これは聞き慣れない名前だと思うんですが、営業所です。直接販売もしておりますんで、営業所という位置づけで捉えてください。五百十七人ですから、非常に最大級の営業所ですね。

 ここでは……いま松下の取引きというのは、皆さんご承知のように、家電商品ですね、テレビとかラジオとか冷蔵庫とか、こういう物、これを「リビングルート」と呼んでるんですが、それ以外に「ハルスルート」といいまして、建築資材を扱っている、建設関係の資材、こういうルートがあります。それからシステム関係ということで、「情報システム関係」、それから「インダストリー」という領域、半導体とか電子部品とか、あと、輸出のルートがあるんですが。

 皆さん、松下電器というのは、いわゆる家電メーカーだというふうに、ご承知おきだと思いますが、いま、家電のウェートというのが、販売ウェートというのが、だいたい三割ぐらいしかないんですよ。あとの領域のほうが、七割ぐらいを占めてまして、総合電機メーカーに、かなりシフトしてきたというようなところがございます。

 ここでいうところの……私が乗り込んだのは、ここの部隊の営業所ですね。こういう……いわゆる営業所、支店というか、営業所があって……こちら側に事業部、いろんな事業部があります。ご承知のように、事業部というのは物を作って売るという、その物がこういう営業所を通して得意先に出ていく。基本的な物の流れ、商売の流れは、こういう流れをしております。

 そこへお邪魔して、何が当時、この営業所、ハルス支店で「ゴースト」だったかというと、「とにかく忙しい」という状況なんですよ。「ゴーストが何か分からない」というような。ここに書いてありますように、ここの責任者でありますナカジマ経理部長は、「とにかくお客様に喜ばれるような、営業体制をつくりたい。ですから何を求めているか、そういう気持ちを知りながら改革をしたい」というふうな、こんなような話をされました。 ちょっとその次のページへいって戴いて。

 チームの編成は四人でやってまして、部屋に行きまして、机と電話を貰って……。われわれの精神は、現場の人たちと一体化して、現場の人たちの悩み苦しみを、自分たちの苦しみ悩みと一緒に感じて、それを解決していこうというポリシーで、監査とか、そういう待遇(部隊?)ではないということですね。ですからそういう形で、一緒に仕事をしたということです。

 それで、なんで大変なのかということで、なぜを五回繰り返して、「なぜ、なぜ、なぜ……」という形で、いろんな流れをフローチャートにして、絵にして表していくと、そういうことをやっていきました。そうしますと― どこに出てきますかね― 真ん中の段の一番下の行、「首都圏ハルスの場合は― と書いてあります― この事務処理が膨大だった」と。

 実は請求と、支店の仕入れ金額が合わない。これを「違算」というふうに、松下の中では呼んでおります。「特にその中でも、カクバイ(拡売?)費の処理が大変多く」と……ちょっとこれは解説します。ちょっと難しい話なんで、すいませんね、ここからちょっと耳ほじって聞いてください。

 得意先が、「エアコンを十台買いたい」としますね。定価、定価というのは事業部が決めている、いくらちゅうやつですわ。例えば定価が二十万円だった、で、「十台にするから、ちょっとまけろや」という話に、当然なります。ここに掛け率という世界が出てきますですね。例えば一台を、いまだったら、「十二万円にしろ」と、「六掛けにしろ」ということになります。六〇%。

 ところが営業所を途中、通しますから、営業所に渡す掛け率が、途中、こう……出てきます。これが例えば七掛け、七〇%、十四万円だった。そうすると、ここに差が一つ出ます。それともう一つ、六〇%のところに、もう1ランク、ここに差が出ます。実はここでこの掛け率、これを「マルセ」というふうに呼んでます。いわゆる卸価格だと思ってください。ここの掛け率、これを実売価格、実際の売値。ちょっと、私は数字に疎いんだという方、ちょっと難しいかもしれませんが、そんなに難しくないんで、解説しますが。

 実は、事業部はこの「マルセ」という、この金額でもって、いろいろ価格の処理をします。ところが流通側が、いまのような価格破壊の時代とかになってきますと、「もっと値引いてくれ、そうじゃなかったら売れないよ」ということで、逆にこちらに要求をしてきます。そうすると、ここに「カクバイ(拡売?)費」という名目を使って、つまり売上を拡張する名目を使って、こちらからこちらに……「この分だけ、お金をくださいよ」という、実は請求書が来るんです。ですから、この得意先から営業所を通して、事業部に対して、これだけ分、十二万と十四万、この差額の二万円、「二万円、カクバイ(拡売?)費でもって金をくれ」ということをいってます。

 いま、お酒のビールの大量生産……いや、安売りしてますね。あれも全くこれと同じなんですよ。つまり、大量に仕入れられる所は、仕切り価格は他の店と一緒、ところがバックリベート、バックマージンという形で、このお金がたくさん入ってきます。このお金を原資にしながら、値引きをしていると。

 昔はメーカーが価格支配権を握ってましたから、流通側はこれに振り回されるという感じですね、だから「たくさん仕入れたら、これをやるよ」という感じだった。ところがいまは価格破壊の時代ですから、流通側が主導権を持ってる。そうすると、この差がどんどんどんどん広くなるでしょ。だからメーカーが言うこときかなかったら、「売ってやんないよ」とか、あるいはこの貰ったお金が、全部、どんどんどんどんと、値引きに使われていくと。  

 そうすると、どういうことが起こるかというと、「いちいち、この請求書を送るのはいやだ、カクバイ(拡売?)費を請求するのはいやだ」ということになってきますね。実はこれで苦しんでたんです、この首都圏ハルスというのは。建築業界というのは、昔から、「半値八掛け」というふうにいわれまして、この標準価格を決めてても、量がまとまったり、あるいは大型物件になると、「とにかくまけろや」という、非常にヤクザな業界でしたから、価格破壊になる前から、価格破壊のようなことが起こってた。そうすると、この途中で、人が何人も介在しながら、この伝票を何枚も何枚もやり取りをしないと、一件の取引きが成立しないという、非常に大変なことだったんですね。

 実はなんで、これで事業部制が絡むんだという話なんですが。そしたら、こんなに大変だったら― こういう話が出てきたんですよ― 「ここで、どうせ売るんだろ、そしたらここで契約して、決めちゃったらいいじゃないか」。一番、この契約価格、「こういう処方箋でどうだ、この大変な事務量をなくすために」というのが出てきた。

 ところがこの契約価格をやるのに、いろいろな人が、たくさんあれこれ言ってくれるわけです、できない理由を。この契約価格を決めると、「一回決めると、どんどんどんどん下がり続けるんじゃないか」、あるいは「どうやってこの契約価格を決めたらいいんだ」と、非常にネガティブな意見ですね。

 それからもう一つは、二つ目、「ワタシキリカクバイ(渡しきり拡売?)費」という案が出てきた。つまり、「この財源を、流通側に渡しておいて、いちいち、こんな請求を事業部にするんじゃなくて、すぐお客さん行ったところで、それを財布に入れといて、渡して値引いてやったらいいじゃないか」というアイデアですね。これも、また揉めた。「そんなお金を渡しきっちゃったら、こいつら、何をしでかすか分からん。他のことに使いよるかもしれん。あるいはエアコン事業部が出した金を、換気扇とか売るために使うかもしれん」、事業部から見たら、不信感なんですね。

 ここで、こういういろんな話が出てきて、あるいはいままで通りのマルセでもって仕切ってやるというやり方と、実はこの三種類の議論が、侃々諤々、社内でもって揉めたんです。

 その時に、実はこんな議論があったんです。非常に難しい話ですいませんね。「一物一価」という、一つの商品に対しては、一つの価格なんだと。実はこれ、松下幸之助さんが昔、哲学として、そういうことを言ったわけです。どうしてそういうことを言ったかというと、同じ物が、「あなたのとこに売る時は、ちょっとかわいいから、色をのせてあげるわ」と、「あんたんとこは、ちょっとあれだから高くするわ」と、こういうことであったら、商人の道徳に反すると。

 だから全国、どこへ行っても、同じ物は同じ値段で売るんだと、しかも安易な値引きはしませんと。安易な値引きをしてしまうと、次に利益があがらなくなったら、投資に回るお金も少なくなってしまうということなんですね。ですから「物の値段は一つなんだよ」ということで、「一物一価」ということを言ったわけです。

 ところが流通側がこれだけ強くなってきますと、「うちは大量に買うから、もっとまけろ」という話も出てくるし、そのほうが合理的じゃねえかという話も出てくる。あるいはこんなネットになると、本当に得意先によって、全部価格が違ってくるわけですね。しかも、ある人がこういうことを言うわけですよ、「こんな形で渡しきりにしたり、あるいは流通側でもって価格を決めるなんてことが出てきたら、これは事業部制が成り立たなくなる。これは松下幸之助が価格を決めるのか、中内均が価格を決めるのか、そのぐらいの差があるんだ。こんなことを松下電器が許していいのか」という、この問題で社内が、大分割戦争が起こってたというようなことになってしまった。

 たまたま私はその現場にいて、伝票処理が大変だということを解決するために、いろいろやってったんだけれども、それこそ、「なぜ、なぜ、なぜ……」ってやっていくと、結局、ここまで来てしまった。その時に私、はたして「事業部制」って何なんだろうなと、「お客様第一」って何なんだろうなって、その時、真剣に考えたんですよ。

 お客さんからすれば、ここでネゴしてて、営業所とネゴしますよね、「早く価格を決めてほしい」と、あるいはできれば約束してほしいんだけど、あるいは「こんな請求書、いちいち出したかねえ」ということですよね。こっちも皆、事務で大変なんですよ。「じゃここで仕切ったらええやないか」と、普通考えるんだけれども、事業部制に反すると。なんで事業部制に反するんやいうたら、事業部が全部、価格をコントロールし、かつ収益まで責任を持つのが、事業部制なんやと。だからこんなとこを渡しきって、こんなところの権限に基づいて、価格が決められたんじゃ、なっていかないということをいわれて、実はこの時に本当に、正直、「松下の事業部制って何やろな」と。

 最終的には、どう落ちついたかというのは、あとでお話ししますが、まさにその私の仕事というのは、事ほど左様に、松下で旧来然として、松下幸之助さんが言ったこと、つくってきた制度、これがこういうような形で、現実にそぐわなくなってきている、これをどう解決したらいいのかというのは、実は社内の人は、だれもタブーに挑戦したがらないんですよ。

 これを解決しようと思うと、本当に松下幸之助さんというのは、何を考えてそのことを言ったのか、その制度、仕組みをつくったのか、そこまで立ち返って、「その精神に基づいて、いま判断するとしたら、どう判断するんだろうか」。「いま松下幸之助が、この状況を見たら、どう判断するんだろうか」、実はこんな仕事ばっかし、毎日繰り返してたんです。 

 だから、家へ帰るでしょう。こんなテーマを抱えているでしょう。まさに「創業者だったら、何を考えるんだろうな」、「俺が創業者だったら、どうするだろうな」、「創業者はいったいあの時、なんでこんなことを言ったんだろうな」、もう毎日がその繰り返しでした。こういう、ある意味で、過去何十年というしがらみが残っている世界を、なんとかしないと、仕事が楽にならないという。機械化で楽になるとかそういうことは、もう既にやってしまっているんですね。こういうタブーにまで入り込まないと、物事は解決つかないという。

 実は、これをきっかけにして、私は松下幸之助さんというのは、いったいどういう価値観、どういう哲学でもって、いろんな制度、仕組みをつくってきたのかなと。特にまさしくさっきから言ってる「事業部制」なんですよ。いったい、事業部制って何なんだと、ここまで矛盾を孕んで、ここまで大変なことになっている事業部制というのは、いったい何なんだろうなって思いますでしょう? そこからなんです、松下幸之助の思想探究の旅が始まったのは。

 実は早速、事業部制について、「いったい事業部制って何なんですか?」と、「どうして事業部制なんてあるんですか?」ということで、松下幸之助さんに直接薫陶を受けた人たちとか、いま事業部長をやっておられる方とか、経理の大ベテランとか、当時のことをよく知っておられる方に、それこそ先生になって貰って、もう訊いて訊いて、訊きたおしたんですよ。その点では、周りに先生がたくさんいますから、良かったんですけどね。

 どうも、その聞いているだけでいわれると、要するにこういうことなんですね、あれっ消しゴムが……?

 事務局 どっか、落っことした?

 宇佐美 落としたかな?

 事務局 じゃ、持ってきます。 

 宇佐美 すいません。

 女性 さっきあったのに……

 宇佐美 さっきあったよね、あれ? (笑) なんでやろ? ありました?

 事務局 ポケットの中から出てくるんじゃないかなんて(笑) 、それは冗談ですよ。

 宇佐美 皆さんのいわれる事業部制というのは、結局、何かなということで、いろんな人の話を聞いて総合すると、だいたいこういうことなんですわ。これ、松下幸之助さん、創業者がいて、この人が総帥でありトップですね。トップで、その傘下にいろいろな事業部というのがあると。それで、この事業部長、この人に対して、全部、この事業についての責任権限を委譲してしまおうと、これを……こうですね、基本的にこのことによって、この任された事業部長が、経営者としての意識が育つ、こういう話が非常に多かったんですよ。

 つまり事業部制だと任されるから、責任をもって、その事業に取り組むと、あるいは任されることによって、主体性、あるいは責任が芽生えると。こっち側の主体性ですね。話を聞いたら、だいたいこういう意見が多かった。私はその話を聞いて、納得いかなかったんですよ、正直。「こんなことのために、さっき言ったような、ああいう状況が起こってるじゃないか。そんなことを許しておくんか、これがなんぼのもんじゃねん。他のやり方だってあるんじゃねえか」と思ったんですね。 

 ところが、「ちょっと待てよ、もっと何かあるんじゃないかな」と、ここでそう思ったわけですよ。それで実は、皆さん、今日お読み戴いた、この日野さんの本、実はいろんな方に相談したら、これを真先に読めといわれた。ちょっと待ってください、ああ、この本ですね。皆さんのとこ、コピーいってると思います。

 実は私にとって、この秘密を解明する最初のきっかけであり、バイブルであったのは、この本だったんですよ。絶対、何かあるはずやと。だから松下の事業部制を追求していけば、何かそこに、松下幸之助の秘密が隠されているんだということで、実はこの本を穴が空くぐらいまで、ずーっと読ませて貰った。中に出てくるこの辺、四章の所、皆さん、コピーいってるかと思います。

 ここにいろいろ、事業計画だとか何とかという、このシステム、制度というのが書いてあるんですが。まず松下のじゃあ事業部長というのは、いったいどういう立場に置かれながら、責任権限を任されているのかということを、探ってみようということで、実はこの本を読んでいきますと、まず、「内部資本金制度」というのがあるんですね。

 例えば水野さんが、そうですね、「アイロンの事業部長をやってくれ」といわれたとしますね。そうすると、当然、工場を建てる、それから最初の何台生産、一万台生産なら一万台生産する。その材料費、それから何人の人間がいて、どれだけのラインを購入してという、基本的な設立資金が要りますね。それを事業計画という形で、まず設立資金を見積もるために、出して貰う。

 例えばそれが一億円だったと。ま、一億円でいまは工場は建ちませんけれども、かりに一億円だったとすると、あなたに一億円を本社経理部から、一億円が出されます。実は本社から出る金は、後にも先にも「これっきり」です。つまり本社は投資家なんですね、その意味では。で、毎年、配当を払わなきゃいけません。いいですか。それから次にいきましょう。

 事業部長の目標、これはいまはかなり変わってきてますから、当時の、幸之助さんがまだ生きていた時は、利益率一〇%、それから前年に対する成長率、売上高成長率一〇%。これは経営をやられた方、監査法人の方がおみえになるんでしたね、確か。これは気違いじみた数字だというのは、ご理解戴けると思います。そのことを責任として課してます。だいたいいまの企業が二%か三%あげるだけで、必死にいってます、売上高利益率ね。成長率に至っては、国自体が低成長でしょう。そういう時代で二%か三%がやっとです。それを当時、まさにこのことが目標であると。

 もっと厳しいことに、二年連続減収減益だと、クビ(首)。つまり「二年間、お前に任すよ」と。物の本では、「きみのええとこを見込んで、六割ぐらいのできやったら、きみ任すで」って、任すほうの話は出てくるんだけど、クビのほうの話はあまり出てこないんですよ。ところが私、この本を読んで、初めてクビの話が出てきて、「これは松下というのは、えぐい会社やな。ええとこ見込んで、任すことは任すけれども、いかんとなったらすぐ首切りやりよんねやな。しかもとんでもない目標をたてるわな」。

 その次。このおっさんが無茶やらんように、さっき言ったように、この下にいる配下の経理社員を、お目付で送るわけですわ。この人は、まさに内部資本金一億円を、派遣したもとから送られてますから、つまり資本金を無駄遣いしたり、あるいは先行する技術開発に、投資をあまりしてないとかいうようなことがあると、「あかんやないですか」いって怒るわけです。かりに事業部長、「向こう行け」言ってても、「駄目です」ってノーを言うわけですわ。一応、部下は部下なんだけど、こっち側から派遣されているということなんですね。しかも、何か情報があると、すぐこう行って……ここには高橋荒太郎さんがいて、ここからポーン、行くわけですわ。

 ある会社に、幸之助さんが行きました。ここは赤字の事業部。ここで、本社から金借りて、何とか食っておったと。その時、幸之助さんは何を言ったか。ここの経理部長に電話して、「だれや、こんなとこに金貸したんは?」、怒る先が違うんですよ。それだけ、金は貸さない、口も出さない、手も出さない、放ったらかしですわ。「何か指導をするんでしょ?」って、何にもありません。

 もっとひどいことに、ここに監査部というのがあって、いわゆる企業内警察みたいなもんです。この人たちが巡回して、ここで、変な金の遣い方とか、悪さしていると、「何やってんだ」という話になって、ここ、ポーンと首切られるという……という世界。

 しかも毎年毎年、どこでも事業計画というか年間計画というのをたてると思いますが、これがすごいんですよ。「とにかく任せる以上は、きちっとした計画をたてろ。経営というのは、計画で全てが決まる」という話をされるんですね。それで、ここでは、これも事業計画というものをつくるんですが、それこそ恐ろしいエネルギーを掛けて作ってます。 これは松下の精神も(生死にも?)絡むんでしょうが、普通の会社というのは、予めだいたい、経営企画室とか、トップマネジャーが、「来期の見込みはこのぐらいいくぞ」というガイドラインを出します。それをだいたい各部に割り当てて、上から落として、「だいたいこれでいくぜ」と、微調整はあるものの、たいていこれで主なガイドラインが流れるはずです。 

 ところが松下の場合は違うんです。まず本社が、「一〇%いくぜ」というと、この事業部に落とすわけですね。ここで若干、「うちは九しかでけへんな」とか、「八しかでけへんな」と、利益率を九%出そうかという話になってくると。あるいは、「売上、百億いくぞ」と。そうすると、この百億を下に下ろします、これは普通の会社と一緒。ところが全員が― 事業部の― 販売の一課、二課、三課、それから購買、人事、経理、全員が、それこそ自分のテリトリー……。

 例えば営業一課に私がいるとします、関東地区を担当しています。で、画王とブレンビーと何とかというのを担当してた。そうすると、それがいったい何台いけるのか、全部細かく数字を弾きだして、それがいったいどの店に売れるんか、そのためにはカクバイ(拡売?)戦略、どのぐらい打たなきゃいけないのか、どういうキャンペーンを打たなきゃいけないのかというのを、全部、自分が計画を組むんですよ。それを課でもって、全員集めて、部でもって全員集めて、それで全体の販売計画が決まります。

 その販売の計画に対して、現行の在庫がありますから、実際、生産はどれだけしたらいいのか、あるいはコストダウンのために、設備投資はどれだけしたらいいのか、あるいは人も当然要るでしょうから、人員はどれだけ採用すべきか、こういうのがいろいろ決まってくるはずです。それぞれ、工場に行ったりとか、資材部に行ったりとか、材料の買いつけなんかもありますね、人員だったら人事部の話ですし。  

 これを全部集約して、最終的にどれだけ利益があがるんか、あるいはお金がどれだけ残るんかという、利益計画とか資金計画がまとまって、最終的に事業計画、トータルが出てきます。たいてい、八%とか九%とか、高い目標を言ってても、それが七・五とか、そのぐらいの数字にしかならないわけですよ。それを上に持っていくと。そうすると事業部長が、「こんなんじゃいかん、何考えとんだっ!」、デーンと、また突き返すわけですよ。そうすると、また一からずーっと自分の計画を練り直すんです。

 これをだいたい三回か四回、ようやく繰り返して、もう頑張って頑張って、「どうしても申し訳ない、八・五しかいかない」と、これで持っていくわけですわ、幸之助さんのとこに。もちろん本社経理部を通じて。ここから闘いが始まるわけですわ。もちろん、この事業部の中で闘いの連続ですよ、「お前んとこ売らんから、これだけコストが下がらんのやないか」って、製造と営業で喧嘩しまくるし、「製造が古いからコストダウンができへんやんか、部品の」いうて、もう内部で喧嘩したおすわけですわ。

 それで上へ持っていって、「八・五。なんできみ、八・五しかできへんのや。わしが一〇言うてんのやで。きみ、わしに逆らう気か」と、こうくるわけですよ。「いやいや、実はこうこうこう……」、「きみ、本当に考えたんやろな。もう一回やり直してきい」と、こうですわ。そうすると、またもう一回やり直すんですよ。だいたいこれで、各部門だいたい十一月末、十二月、一、二、三、死んでます。

 私はこれを聞いて、「こんなあほなことやって、何考えとんのや。言うほうも言うほうやな」と。最終的に、一応このおやじが「うん」言うたとしますやん、「きみんとこな、そうか、九・五までしかいかんのかな。しゃあない、来期はいって貰うで。せやけど、お前、九・五、絶対にいけや、死んでもいけや」って、念を押されるわけですよ。「分かりました」と。

 ここで、「御墨付」というのが出るんですわ。初めて、あの……「御墨付」いうて、ちゃんとこういう証書がありまして、「私はあなたに経営の全権限を委任致します。ついてはこの事業計画を必達のこと。 松下幸之助 何年何月何日……はいっ」って、こう出るんですわ。

 前回、私はあの人は金の亡者であり、執念の塊やいう話をしましたね。私はこの話を読んでから、「こいつはえぐいおじいだな」と、本当、ここまで執念の塊かというのが、つくづく分かりましたね。これがまさに「事業部制」なんですよ。

 そこまで約束するでしょ。ここからが重要なんですけど、自分で作った目標ですわね、しかも何度も何度も描いているだけに、思い入れもあるし、この「御墨付」が出て、まさに「幸之助が任せたで」と。確かに任せた以上、本当に任すんですよ。本当に任すいうのは、この計画を達成するためには、どこから材料を買っても構いませんと。例えば、松下のグループの中にも、松下電子部品とか電子工業とか、部品を作ってる会社があるんですね、例えばモーターという所もあるんですよ。ここから買わなくたって、結構だぞと。

 現実に幸之助さんご自身が、ご自宅を西宮に建てられる時に、どっかの建築会社に頼んだんですが、中のいろいろ施設があるでしょ、こういう……。当然、さっきのハルスのルートで、当然いろんなエアコンとか売ってますよね。当然、建築会社も気をきかして、創業者の家ですから、松下製品を使わなきゃいけないやろとか言ったんですが、そんな見積もりを持っていったら、確か竹中さんだったと思います、「竹中さん、そんなんはいい、私は消費者の立場で一番いい物を買いたいから、ええんを持ってきてくれや」と (笑) 。だからあれですよ、全部、松下製品じゃないですよ。全部、ダーッと検討しまくって、一番安くていい物を、自分で選んでた。

 まさに、「任せた以上は、絶対にもう何をしてもかまへん、とにかく絶対これやれ」という世界なんです。それでこれがまさに、松下の「事業部制」。

 確かにこの執念はよく分かるし、それはそれなりのメリットもあるんやろ。ところがさっきの私が思ってた疑問、「全体の整合性がとれない」とか、あるいは「各事業部がバラバラだ」とか、こういうデメリットはどう考えたんやろうなと。良さも分かった、ここまで厳しくやりゃ、それは経営者は育ちますよ。それにこんな厳しいやり方をしてたら、それは収益マシーンとしては、必ずそれは収益もあがるでしょうと。

 ところが、ちょっと待てよ、絶対何かあるはずやろなと思って、実は私、それからまた事業部制の研究、ずっと続けたんです。で、それがちょっと皆さんにお配りした、この三枚、シートを作ってきたんですが、その二枚目を見てください、「事業部制の心と本質」というやつ。

 まず、松下の事業部制というのは、どういう歴史を辿ったのかなということで、事業部制の生い立ちというのを、ちょっと調べてみたんです。いろいろ調べてみると、どうも昭和二年、当時、松下というのは乾電池とか、あるいはこういうカンキュウとか、二股ソケットとか電熱器とか、そういったのをやってたんですが、全く新しい「アイロン」という商品、この事業をやりかけたと、それが昭和二年だったんですね。

 それをやりかけた時に、電熱部という形で、事業部制の走りみたいな実験みたいなことをやったんです。動機は大したことないんですわ。大したことないんですわって、怒られるかもしれんけども、要するに、「新しい事業やな、全く文化の違う事業やな。文化が違うんやし、わしも忙しい」というんで、「だれかに任そか」と。水野くんやったら水野くん、「きみに任すわ」ということですわ。「きみ、資本金も渡す、それと、きみ、全部やってくれ」と。 

 当時、こういうやり取りだったそうですわ、「全部やってくれって、何をやるんですか?」、「いや、それはきみな、開発から、物作って、売って、儲けてくれたらええんや」「全部やるんですか?」、「そうや、全部やってくれ」、「それはいいんですが……」、「どうしても相談したいことがあったらな、わしんとこへ来てくれ。それ以外は全部きみに任すわ」と。ということで、全部任しちゃったんですね。

 それが味をしめたかなにか知りませんが、非常にうまくいった。まさに、ここまで厳しくはないですけど、こういうのは後々完成された形での事業部制なんですが、その当時はまさに、任せたほうが― ここに書いてありますよね― 「任せるんやったら、全部任せたほうが、任されたほうも、自ら主体的にいろいろ創意工夫できてよかろう」と、これはまさにあの人らしい人間観というか……ということだったんでしょう。

 皆さん、小田全宏さんに「命知」の話を聞かれたと思いますが、あの人が、恐らく生涯焼きついていたのは、あの天理教で見た、柱を掃除していた、あるいは木材工場で喜々として働いていた人。「給料も貰わんと、あれだけ喜々と喜んで働いてた」というイメージが、これだけ金の亡者ですから、恐らく強烈に焼きついていたんでしょうね。

 それとたぶん合致したんだと思います、この事業部制が。その中で人が育ち、その可能性が見いだされると。それでうまく味もしめましたんで、儲かりもしましたし……儲からんかったら、たぶん、どんな人が育ってもやらんけれども、結果、儲かるやないか、人も育つやないか、皆、喜んで働くやないかということが、実践できたんですね。

 結果的に昭和八年、当時、従業員の数が千七百人かそのぐらいですわ。確かに千人を超えだすと、社長一人では面倒見きれなくなるのは事実ですね。それで三つの事業部に分けようということで、この第一事業部はラジオ、第二事業部、第三事業部ということをやりました。 

 その前、どういう経営管理をしてたかというと、任せてないんですよ、その前は。その前の経営管理の仕方は、十二の工場がありまして、それぞれ工場長がいるんですわ、「第一工場と第十二工場は高橋荒太郎くん」とか、いるわけですよ。

 何をやってたかというと、工場の出勤率を、全部毎日、報告させて、人員が増えたとか欠勤が多いとかいうとこに対しては、電話を掛けて、「きみ、何で人員が増えとんねや。本当にきみ、あれか、仕事の工夫をして、それで人を雇ったんか?」という確認をして、それでそういうチェックをしながらやってたわけです。だいたい、「働きに来ないとか欠勤率が多いと、うまく会社が回ってない」という、独特の見方をしてたんですな。儲かったとか、生産第一とかいうのと、ちょっとちゃうんですね、目のつけ方が。ただし、自分が全部直接、コントロールをしてたと。

 ところがこういう形で事業部制をやりだして、自分はどんどんどんどん、下の人に任せたと。松下では、「任せて任さず」という言葉がありまして、実はここに妙があって。事業部制で「任せた」というふうに言ってんですが、この「御墨付」なんかも一つね、「任す以上は、きみ、何をやってくれるか、はっきりさせてくれ。それがいかんかったら、きみ、クビやで」という、これも「任せて任さず」の「任さず」の部分なんですが。

 一番重要なのは、まさに、こういう言い方をすると、今日、夢の中で怒られるかしらんけれども、はっきりいった話が、ヤクザの組の組長みたいな役割があるんですわ。つまり各それぞれの事業部に、「きみ、頼むわ、水野くん、アイロンやってくれや」と頼みますよね。ところが、「水野の野郎、あいつ途中で怠けてサボりよるな」という癖が分かっておるというと、経理責任者にそこをチェックする奴を置いたりね。

 あるいは時々、あれですわ、抜き打ちでポーン行って、「きみ、何やっとんのやっ!」つってやるわけですよ。そうすると、その組の若頭の連中が、それぞれテリトリーを治めてますね、ピピピピッと来て、「ははーっ」とかいって。「きみ、きみに任せた以上は、きみ、あてにしてんのやで、頼むわ」つって、最後に憎い言葉をほろりと言って、カッと帰ってくると。そうすると、「あの親分にはかなわねえな、親分のために、いっちょやったるか」という形で、事業部長たちがどんどんどんどん、意気に燃えてやるわけですね。 面白かったのは、簡単に事業部を増やしてないんですよ。ここがミソね。つまり経営者に育ってきたというやつが一人出てきたら、新しい事業部を一個つくるんです。ここが、自分がコントロールしてた時から、事業部長をコントロールする立場に変わった時の、まさに幸之助さんのすばらしいとこだなと。 

 つまり経営者がいなかったら、新しい事業部をつくんないと。とはいいながら、人材が豊富なわけじゃないですから、自分はどんどんどんどん、イメージは膨らむでしょう。新たな、「こんなことやりたい」「あんなことやりたい」という事業欲が旺盛な人だから、仕方がないから抜擢ですわ。六割ぐらいでも、「きみやったらできるわ、きみ任すわ」というんで、任す以上は全部任す。ただしこれだけの厳しい条件を、付けているということですね。     

 そういうことでやったんですが、じゃあ、海外にもいろいろ事業部制というのはあるわなと、海外の状況を調べてみると、ここの2)ね。ちょっと、やってる目的が違うんです。GMですね、ゼネラル・モータース、これが一番最初です。実は幸之助さんが三十三年ですから、十三年ぐらい早いんですね。実験からしても、まさに六年ですから、七、八年早い。ただこの海外での実例を見てやったわけでは、決してないんです。全くそれは知らなかった。 

 それで、ここでは主に多角化を推進する時に、事業部制が役に立ってると。デュポンもそうなんですね。多角化、つまり事業を多角化していく時に、まさに事業部制をとったほうが、収支の責任がはっきりするでしょうと、そういう狙いでもってやってると。ところが創業者の場合はちょっと違うのは、「人間、あれもこれもできへん。だから一つ専業になって、水野くんやったら、アイロンだけやってくれということで、アイロン専業にやって、遮二無二アイロンしかでけへん。そうすると、一つ専業ということで、専門性があってどこにも負けんのやろ」という、専業というほうを、どうも狙われたんですね。

 ということで……人間、一人では当然……

 宇佐美 ……て、財閥指定を受けます。当時、まともな事業ができないような状況に陥ります。その時に、まさに経済活動を封じ込められた幸之助さんは、PHPなんかを始めたわけなんですが。

 ここで、何をやったかというと、当然、事業ができません。どんどんどんどん、資源が枯渇してきます。そのことを分かってましたから、事業部制を全部やめまして、敗戦直後全部、本社部門に集結させたんですよ。本社が全部いろんな工場を、面倒見るというやり方に切り換えたんです。

 ところが、ある程度、事業が始められるようになった時に、昭和二十五年、事業部制、ここで復活をしてます。その時のセリフが重要なポイントなんです。ある人が質問しました、「事業部制というのは、いろいろ問題がある。今回、本社に集結したことによって、本社の意向が全部伝わるとか、あるいは間接部門を別に持つ必要がなかった。集中することによって、間接部門が効率化できたとか、いろいろな良さがある。あるいはグループとしての一丸性、共通性、そういうものがつくれる。また事業部制に戻すんですか、なぜ事業部制に戻すのか、その理由を聞かせてください」と言った時に、このセリフが出てきたんです。

 「事業部制の短所があるのは、よく知っている。しかし、五十一のいい所と、四十九の悪い所があるんやったら、わしは五十一のほうを取る」という。つまり、さすが松下幸之助だと、この時、これを知った時、分かりましたね。確かに私がいろいろ仕事上、ぶつかっていた事業部制の矛盾というのは、やっぱりお見通しのわけで、その矛盾があることはよくよく知っていながら、その「五十一の良いところを取るんや」と。光が強けりゃ、影も強いですから、事業部制というのは、確かに強烈な光と強烈な影を持ってると。「五十一で少しでも多けりゃ、わしはそっちを取るねん」という話を、ここでされているわけです。

 さあ私は、ここでさらに疑問が湧いてきました。どんな疑問かというと、四十九の悪いところは、自分の仕事上、よく知っていると、「五十一の良いところがある」というからには、まさに幸之助流の何らかのものがあるんやろうと、その五十一の中に、その長所の中に。ここでいわれているように、確かに人は育つ、金は儲かる……というけれども、本当にそんなもんだけなんかなと、もっと何か秘密があるはずやろというふうに思いましてまたそっから探究を続けたんですよ。

 じゃ、事業部制の前後は、どういう組織の形態になってたのか。要するに事業部制の裏返しを見たら、その長所は隠れているんじゃないだろうかというふうに思って調べてみると、この3)、「事業部制の前後」というやつですね。組織図が出てます。

 これをご覧戴ければ分かるんですが、ショシュ(所主?)というのが、当時の創業者であります。この下に、それぞれ企画部、総務部、電化研究所研究部というのがあって、営業と製造と。この中で、いろんな商品を全部製造し、いろんな商品を全部販売し……ということですね。これを一般的には、いわゆる職能別組織といって、それぞれの職能別に分かれて、組織形態を組んでいます。

 ところが事業部組織になった時に、どうなったかというのが、右側です。ショシュ(所主?)の下に、直属という形で、第一事業部、第二事業部、第三事業部と。つまり社長の下に、それぞれの事業部長が直結してると。その事業部の中に、それぞれ営業、製造というのを持たしてたということです。

 ところが皆さん、ちょっと見て戴きたいんですが。ここで、「総務部」というのは、相変わらず残ってます。それと事業部制にしたことによって、幹部会議とか秘書課とか、新しい組織ができてるんですね。実は、ここにどうも、あの人の考えた「ミソ」があるんじゃないかなと。つまり、事業部制ということで任すんだけれども、それをどこかで束ねる機関というか、その長所を補う機関を、まさに残しておかないと、うまく回らないんだろうということで、恐らく秘書課というものと、総務部というものを、つくったんちゃうんやろかな……と。

 それで、実はいろんな本を研究して、事業部制の長所・短所というのを整理をしてみると、この4)の所に書いてあります。先ほど来、長所といっていたのが、まず、最高経営者の負担が軽減すると、これは恐らく創業者自身の頭の中では、一番大きなメリットだったと思います。つまり、自分が事業を直接担当していると、それこそ瑣末ないろんな情報が入ってきて、それを意志決定を、都度、していかないといけない、大変な責任がある。

 ところが、「はい、きみ、これを頼むよ、岩田さん、あんた、ここの事業部を頼むよ」「はい、あなた、ここを頼むよ」って任せますよね、あとはもう、いったかどうか、見てりゃいいわけですわ。時々、バーン、押しかけてきて、「きみ、何やっとんねんっ!」ってやったら、「あと、頼むなっ!」ちゅって帰ってたら、極端な話、いいわけですね。ヤクザの組頭を押さえる要領ですわ。だからかなり、自分自身の負担が減ると。

 負担が減った分、なに考えてるかというと、次の事業のことを考えたり、潰れかかった事業をどのように立て直すかって考えたり、あるいはやっぱり、「いま日本はどういう状況にあって、次にどんなことを狙わないかんのや」というようなことを考えたりね。結局そちらのほうに、どんどんどんどん、やっぱり幸之助さんは、どんどん人にものを任せて自分はそっちのほうを、自分しか考えられないことを、どんどん考えて、「次にはこういう事業が要る」とか、「ここで手を打たないかん」とかいう形のものを、どんどん創りだしていくと。ここがやっぱり、非常に重要なポイントだろうなということですね。 

 そういうことが、この事業の、いろいろ多角化を戦略する時に、対応できたりとか、それと利益責任、つまり松下の面白いのは……。

 パソコン通信をやった時に、こういうことがあったんですよ。いろいろ、私も回りまして、各それぞれの事業部、「買うてください」つって、全然買うてくれないでしょう。もうしゃあないから、副社長のとこへ頼みに行ったんですよ、「本社で買って、全部これ、ばらまいたらどうですか」と。これは、いろんな人のとこへ行きましたが― 経理の― 全員「ノー」。なんでやと思います? だれも、「うん」と言わんのです。本社が打った施策でしょ、本社で買って与えたらどや、と思うじゃないですか。

 これはもう明確な哲学があるんですよ、「こっちの事業で儲けた金を、こっちの事業に移すとかいうことは、絶対やらんねや。だからそこで儲けた金は、とにかく吸収してダム式経営で運用することはあっても、少なくともそこの事業に投資するための金なんや。こっちが儲かっとるからいうて、こっちにやったら、安易になる、経営に厳しさがなくなるそれはやった方もやられた方も、曖昧になってくる。絶対やらんねや」って、この時だけは、バチッいわれましたよ。まさにそれだけ、この利益責任、収支の責任がはっきりすると、ここまで雁字搦めにやってますから。

 それから、まあ、「お客様意識」、当然、物を売っていかなきゃいけないし、アイロン事業ですから、製品がはっきりすると、だれに売らなきゃいけないか、はっきりするでしょ。アイロン事業だから若い男子の独身を相手にしたって、それはしゃあないわね。そういう人には、独身用の簡単な携帯アイロンみたいな物を、売らなきゃいかんだろうしね。お客様とアイロンという商品が結びついて、どんな商品を作ったらいいかというのが、はっきりすると。それだけに、この「お客様志向性」というのは高まる。

 それとさっき言ったような、この、「人が育つ」、あるいは「自主責任」という部分。ところがさっき言ってた、事業部長が全社的な視野とか長期的な視野に欠けると。利益をあげるというのは、比較的簡単なんですね。設備投資を抑えれば、すぐ利益が出るんですよ。ところが設備投資を抑えると、次の商品が出てこなくなるから、三年後、五年後には真っ赤っ赤になってくると。ライバルに負けるということになると。ですから短期的に利益をあげるんじゃなくて、中・長期にものを見なきゃいけないんだけど、えてしてこれだけ厳しいターゲットを与えられますから、そうすると誘惑に駆られるんですな、やっぱり「短期に刈り取りたい」という意識が出てきてしまう。

 それから「グループ全体の総合力の発揮」。面白いことありましたよ。まあ、あんまり……私にとってはお客さんだから、悪口を言うと怒られるんかもしれんけども。事業部、バラバラでしょう。システムキッチンってあるじゃないですか、あれ、松下もつくってるんですね。そのシステムキッチンに換気扇を入れ込んだり、あるいはいまでいうと、食器洗乾燥機を入れたり、電子レンジを組み込んだり、冷蔵庫を組み込んだりするでしょう。 私が行く前というのは、商品が各事業部バラバラなんで、お客さんはこの建築のマンションならマンションで、キッチンを組み立てなきゃいけないから待っているわけです。そうすると、ポーンと前の日に冷蔵庫が届いたと思うと、今日の午前中にキッチンの天板だけ届くと、釣戸は今日の午後届くとか、バラバラに届くんですよ。事業部バラバラだから全部違う倉庫から送ってくると。それと、付いてくる伝票も全く、全事業部によってまちまち。片一方、商品と単価が入ってくると、こっち、商品と金額があって、桁の順番も違うとか、とんでもない状況だったんですけどね。それはあとあと、一つの倉庫に一回入れて、そこから持っていくということで改善はしましたが、まさにそんなような状況が、実はあったぐらいで。

 それと、そういう形で縦割りのセクショナリズム、つまりこの事業部は自分のとこのエゴで走るでしょ、こっちは自分のとこのエゴで走ると。一時、ひどいのはこんなことがありましたよ、ちょうどラジカセが出始めの頃。当時、ラジオ事業部と録音機事業部というのがあった。で、ラジオ事業部でラジカセを開発しました、録音機事業部でラジカセを開発しました。それぞれ言い分が違うんです。録音機事業部、「うちはラジオの付いた録音機です」、こっちは「録音機の付いたラジオです」と、同じ物ができてんだけどね。それを全く別々に、海外のお客さんに売りに行くんですよ、販売もバラバラだからね。収支まで責任を持たせるでしょ、変な会社でしょう。

 お客さんのほうで見てて、待ってるわけですよ。松下のこっちから来る、こっちから来るって。安いほうで見てて、「うん、こっちが安いな」つって、安い方から買えたつって喜んでたんだけど。その時に幸之助は何と言ったかというと、「ええんや、強いもんが勝つんや」。    

 ひどい時には、ワープロでフォーマットの違うのが三種類出たりとかね。これは政経塾の時に、私、悩まされましたよ、本当。情報化プロジェクトの、当時、リーダーをやってまして、こっちを買ったんだけど、次にまた新しいのが別に来たと。フロッピーの互換性がないのね、「なに考えとるんや、この会社は?」と思いましたけどね。まさにそれぐらいに縦割りのセクショナリズム、これはよう調整せんのですわ。まさにあれでしょ、「強いもんは勝つんや」いうおっさんが、上にいるわけだからね。「どういうおっさんかな」思うたんだけど、それだけこの長所のほうを買っとるんですな。

 最低限度の調整はしますよ、それは従業員の賃金のレートは一律にするとか、それぐらいのことはするけれども、まさに施策においては全く……こんな感じ。私もだから本社の立場で、いろいろ仕事をさせて貰ったけど、「全社を一つにまとめて」つうのに、一年二年掛かる仕事なんか、ざらですもん。それだけ、言うことはもう目茶苦茶。民主主義でもって、それぞれ意見を聞いてやってたら、本当にまとまらないですね。

 いったい、じゃあこの長所の中で、松下幸之助はいったい何を買ってたんだろうと。イグマさん、どうだと思います?

 女性 (何かお話になっているかもしれませんが、声が小さくDIできません) 

 宇佐美 うん。どうです? 何だと思います?

 男性 やっぱり利益■■■

 宇佐美 (笑) 利益管理責任。うん、いや、あの人はずっこいから全部だと思いますけどね。

 だけどトータルで見て、「これがすごいんだ」、あるいは「俺のめざしている経営なんだ」ということなんでしょうね。私はここまできて、いろいろ松下幸之助さんが観念的な話、いろいろ言われていたけれども、どうもここに松下幸之助がめざそうとしたこと、恐らくひいて(しいて?)いえば、PHPを創ろうとした原点、政経塾を創った原点、その思いの凝縮が恐らくこの中に、要素として入り込んでんだろうなと。

 これはね……次のページを見てください。「事業部制」といった時に、私はずっと囚われてたのは、事業部の中の管理制度とか事業部長の役割だとか、事業部の中で人がどう育つかとか、そういうことばっかし気を取られてて、それで事業部制なんだと思ってたんですが、実はそうじゃないなと。

 これは最近、私のやっている仕事というのは、松下の中枢のまさに脳外科医みたいなことをやっとんですよ。いままでは手足がどうだとかいう話だったんだけど、最近そのへんの話になってきましてね。創業者亡きあと、この「大松下」というグループはどこへこれから飛んでいくんだろうかというのが、方向性が見えないような状況、これはまさに松下だけに限らないでしょうね。ソニーでもそうだろうし、ホンダ(本田)でもそうだろうと思うんですが。

 まさに日本の社会全体もそうだと思うんですね。明治以降、まさに創業期で、西郷隆盛とか高杉晋作とか、ああいう維新の連中が創りあげた一つの方向ができあがって。ところがそういう人たちが、一回戦争でぼちゃったんだけど、もう一度盛り上げてきたんだけれども、方向性を見失っていると。

 そうすると、そういう創業者がいなくなった時、いったい創業者は何を考えていたんだろうかなと。観念論の言葉はありますよ、具体的に何をやってたのか分からなかったんですね。それを最近いろいろ研究していくと、どうもこういう上のことが重要なんだなと。いままでは事業部に任せて、事業部が何をしてきたかという話が中心だったけど、まさに経営理念の徹底、これはグループがバラバラにならないように、「何のために経営しているのか」、「なにゆえ松下電器というのは存在するのか」、このことをくどくくどく、毎回のように言って、それでそれに基づいて、価値判断を合わすと。

 だから全く自由気儘に任せているようなんだけど、この経営理念を一つ通すことによって、「それぞれがそれを自分で自己判断しなさい」と、そのことによって経営者が育つ、あるいは経営理念が浸透するというふうに考えたんですね。だからまさしく幸之助さんがやった一番重要な仕事は、これなんだろうなと。

 それとその次、「社会のお役に立つためには、次にどんな事業をしたらいいのか」。つまりお役に……例えばさっきの建築設備の業界というのがありました。松下電器というのは、当時それこそラジオとか冷蔵庫とか、家電のあれでしたから、お客さんはどっちかというと、家庭の主婦の方だったですね、一般の方です。ところが自分が家を建てる時に、そういう経験をされたんでしょう、「建築業界に少しもお役に立ってへんな。建築業界のお役に立つための事業をしようやないか」ということで始めたのが、さっきの建築設備の事業なんです。

 それから「政府でいろいろ行政をやってみえるな。郵政省もありゃ、建設省もある。そういう所にお役に立ってへんな。そやったら、そういう所のお役に立つ事業をしようやないか」というんで、考えて創ったのが松下通信工業ということで。「関西でやってたら、全然うまくいかへん、文化土壌に合わへん、お客さんに一番近い所に創ろう」とうことで横浜に創ったんですね。

 ですから常に時代を先取りしながら、「だれのお役に立とうか」「そのためのどんな事業をやったらいいのか」と。面白いエピソードがあって、奥さんのむめのさんの伝記がありましてね。あの方は奥さんだから、幸之助さんのことを唯一ぼろんちょに言える人なんだなと思いましたけど。

 その伝記を読んでましてびっくりしたのが、「松下幸之助、うちの旦那というのは、いろいろ能力ちゅうのはあるのかもしれんけども、私から見たらそんな大したことないわ。ただ唯一すばらしいなと思うことがある。それは事業をどんな形にやったらいいのか、まさに事業のビジョンを明確に持つということと、イメージをクリアに持って、どういう形で実行していったらいいのか、つまり事業計画を創ることだ。だれに任せて、どういうやり方で……というのを創るのの天才だ」というふうに、伝記で書かれてるんですね。

 だから恐らくたぶん幸之助さんというのは、まさに事業家として理念を徹底させ、だれのお役に立つかという、新しい事業を創造し、イメージし、そういう事業を新しく一つ一つ拵えて(こしらえて)いって、まさにその時に、例えばこれだけ事業部長になる候補がいると「この事業に対してだれが一番いいのか」という、それで抜擢をし、その人に任すと。ある時は怒り、ある時は褒め、それで元気になってやって貰うという、そういうことをやってるんだな。

 それから個々バラバラにやりますから、当然、それを統合していくような全社制度、さっきの事業部制、事業計画制度もそうだし、内部資本金制度とかいうのもそうですし、こういうようなことをやっていかなきゃいかんと。

 それとうまかったのが、やっぱり「評価」ですね。「だれが頑張って、だれが頑張ってないか」、これをやる時に思想をきちっとはっきりさせたと。よく、こういうことがあるんですよ、これはゼネラル・エレクトリック(GE)でもこういう話があるんだけども。人をマトリックスに分けると、こっちは成績がいいと、業績がね……○、これは×、それと松下の文化を共有しているか、あるいは共有していないか。文化を共有して成績が良ければ、これは一番ですね。問題はこのあとの成績の付け方ですわ。両方駄目だっていうのは、これは四番、これはよく分かりますね。どっちを二番にするかなんですよ。ここが極めて重要なポイントです。

 で、だいたい― 例外はありますが― この「文化を共有しているけれども、成績が悪い」と……あ、逆か、「文化を共有しているけれども、成績が悪い」、こっちね……こちらを二番目に重要視する。「成績はいいけれども、文化を共有していない」、これは三番目ですわ。ここが非常に重要なポイントで。

 結局、これは(松下)電器産業の中じゃなくて、政経塾の中で言われたんですが、プロセスをものすごく大事にされます。どういうことかというと、例えば政治志望の人間に言われたのが、「きみたち選挙にでるわな、いろんな人に支持、支援を仰ぐわな。その時にどういう選挙の仕方をするかによって、きみたちの政治家になったあとの行動を、全部決めてしまうんだぞ。

 例えば、安易に大量な票を欲しいからといって、どっかの組織をバックにして立つと、そうすると結果的にその組織に振り回されたりとか、そういう形になるわな。むしろ全く徒手空拳で何もない中に、本当に一人一人、誠意を持って自分の訴えでもってつくっていった、そういう票であれば、逆にいったら、皆信頼してくれてるから、思う存分、仕事ができるわな」。

 事ほど左様に、そういうプロセスが非常に重要なんだと、そのプロセスの中に、文化であり価値観であり、考え方ができるんやと、そういうことを言われたんですね。まさにそのへんのところが、非常に重要です。この一番から四番というのは、実はあまり目に見えないというか、分からない部分だなと。

 実は事業部制を支えてるということは、まさにこういうことを創業者自らがやって、それで支えられたんだな。つまりこの事業部の中に、あるいはここのやり取りに、ミソもあるんだけれども、ここの頭の頭脳、何がやってたかということも、事業部制を支える上で非常に重要だなということですね。

 それで時間もそろそろ来ましたんで、私なりの結論、これは皆さんなりの結論もあろうかと思いますが、私なりの結論として、さっきの長所の中で二つ、非常に重要な部分、ポイントがあるだろうと。

 一つは、「なぜ事業部制だと金が儲かるのか」と。これはぜひ― さっき、最初に申し上げました― 即、皆さんお使い戴ける、お金持ちになれる方法です。ぜひ覚えて帰ってください。一応、今日は時間通りに終われるような方向で持っていってますので。

 はい、これが本社経理です。どっかの事業部があります。それでここに松下のダムがあると思ってください。これはあくまで金のダムですが、資金を溜める水瓶だと思ってください。それで事業部の資金繰り、お金というのは、まさに「生きさず殺さず」なんです。「生かさず殺さず」というのはどういうことかというと、余分な金は絶対に持たせない、ただし必要な金は与えると。先ほど言いました内部資本金というのがあります、これが与えられた唯一の資源です。

 当然、ここで事業活動をします。そうしますと、ここで利益があがり、在庫とかいろいろ抜いて、結果としての資金、つまり金が残ります。まずこれが入ってくるほうの金ですね。この入ってくるほうの金は、こういう形で本社経理部を経由して、一銭も残らず、全部このダムにこう蓄積されます。つまり事業部では資金管理はしないと。

 これは皆さん、旦那さんだと思ってください。こっち、母ちゃんだと思ってください。母ちゃんに全部、手綱を握られてると思ったらいいです。ただしこの母ちゃんは、非常に賢い母ちゃんですが。なぜ賢いかというのをご説明しますが。

 まず、入りはこうですね。その次、「投資をしたい、金が欲しい」ということになります。そうすると、ここはいつもお金がありませんから、お金を借りなきゃいけない。そうするとここに頼みに行くんです、「お願い、お金欲しいんだけど」。そうすると、ここで理由を訊かれます、チェックが入ります。なぜチェックが入るかというと、必要な投資の場合にお金が要る場合と、まずい経営をしていてお金が要る場合と、二通り出てくるんですね。ここで必ずチェックを入れます。このメカニズムは月次決算という、つまり毎月毎月決算をする中で、お金が足りなくなったら、ここへ言って来ると。

 実はこれが一つの、事業部がうまくいってるかどうかのシグナルでもあるわけです。つまりこちらは待ちの状況なんですが、お金が足りなくなると、「必要な金は、もう小遣いとして渡してあるでしょう。最初に渡してあるはずだよね。なぜ必要になってくるの?」というわけね。基本的な考え方は、「あなたが預けたお金はあなたのものよ。この内部利用(流用?)したお金の中から、投資だったら回しなさい。ただしこれでも出す時にチェックは入るのよ」。

 こういう形で、まさにダムをどんどん溜めます。溜まったお金は松下銀行、ここに置いておったんでは、金利は付きませんから、この使い道は内部で儲かりそうな事業、あるいは外部の資金運用。実は銀行でもいろいろ評価して、どの銀行が安全かというのを全部確認して― 都市銀行ですよ― そこまでチェックして銀行に貸すと。いまは住友さんとあさひさんなんですが、集中してお金は回すようにしてる。いわゆる販売会社とか関係会社ありますね、これは松下が預けているこのお金によって信用保証という形で、有利な形でのお金が借りられたりするわけですね。 

 ということで、ここからも利益を得ます。つまりここで投資をして、ここから……またさらにセイカブツが入ってきます。で、どんどんどんどんと、これが膨らんでいくわけですね。皆さん、「無借金経営」といいますね、これがあるからできるんですよ。これをベースにして、「無税国家論」ということを考えているわけですね。つまりこういう形でもって、全部吸い上げてく。ところが、だから「無税国家論」をやろうと思うと、基本的にこういうメカニズムがないとできないんですね。そのへんは非常に重要なポイントであります。

 さあ、それでこういう形で預けていきます。さあ、不況になりました。松下という会社は基本的に不況で大きく伸びてます。どういうことかというと、調子がいい、景気がいい時には、ソニーとか日立とか、あっちのほうが伸びていくんです、伸び率からいったら、向こうのほうが早いです、トントントンと。なぜかというと、余分な金を遣わせませんから。向こうはもうどんどんどんどん、自由に余分な金を遣えますから、だんだんだんだん投資しますが、こっちは余分な金は遣わせませんから、まさに「行こう」と思っても、なかなか行かない。

 ところが、いざ不況になります。いざ不況になると、どこもそんな「設備投資」どころの騒ぎじゃない。松下は基本的に売れなくなる、金がなくなる……売れなくなる、金がなくなりますね、金を借りに行く。そうするとここで何をいわれるかというと、「生産を落としなさい」といわれるんですよ、「もう、作るのやめ」。よそは「まだ売れるんじゃないか」って、もっとどんどんどんどん作っちゃうわけですよ。そうすると、無駄な在庫がたくさん溜まりますね、お金がなくなっちゃいます、全部在庫に化けちゃいます。こっちは、だから無駄なもんを作るのはやめ、だから金がなくならない。

(ポケットベルの音)

 たぶん私ですわ(笑) 。失礼しました。

 事務局 電話を掛けてらしたら。

 宇佐美 いい、いい、もう……。

 それで、実はここからがミソです、松下が伸びた。だから不況の時は、よそは「まだいける、まだいける」と思って、ずーっとやっているわけですね。松下の場合は基本的にこのセルフ・コントロールが効いてるから、一気にとーんと生産を落とすんですよ。この分の差額の金が、よそよりもずっと蓄積されていくわけですよ、このダウンの中に。

 それで今度は、不況が明けはじめるぞという時ありますね。その時には、半年早く、皆よりも先にブレーキを踏みます……あ、いや、アクセルを踏みます。つまりよそがまだ、「金がねえ、金がねえ」という時に、立ち上がり遅いですね、ずーっと落ちてますから。松下はチョロチョロチョロチョロ……と、こう来てて、先にとーんと上がるんですよ。よそはまだこういう感じ……。その間のこの部分で、金を逆にどーんと投資しますが、一気に稼ぎだしちゃう。

 つまり半年早くブレーキを踏み、半年早くアクセルを踏んで、その差によって、ライバルを全部蹴散らすんですね。つまりダムでずーっと我慢に我慢を重ねて、水をため込むででしょ。ところがよそが全然、まだ来ないと、ここのチャンスという時に一気に堰をバサーッと落として、ザバーンとやって、街中全部、松下だらけにさせちゃって、それでお金をバサーッと稼いでしまうという。これは非常にえぐいやり方ですね。このことによってまたさらに水をどんどんどんどんとため込んでいくと。  

 ところが最近、このへんの神経網がうまく働いている時はいいんですが、働かなくなっちゃったんで、私がいまお仕事をしているという、これを何とかしなきゃいけないということなんですけどね。

 それで、これはちょっと難しいんで、私なりに三つの要素に分けました。どういう要素かというと、「大阪人のように稼ぎ― 京都もそうだと思うんですが、私、名古屋出身なんで、名古屋のことよく分かるんですが― 名古屋人のようにため込み、東京人のように遣う(使う?)」。

 冗談のようですが、東京と大阪と名古屋の人が三人、喫茶店に行くと、最後勘定の時に非常に面白い現象が起こって、大阪の人は「割勘にしよう」とドライに言う、東京の人は「奥様、私が払いますから」「いやいや、私が」なんていって、見栄をきって払おうとすると、名古屋の人はだれが払ってくれるか待ってるんですね、ずっと(笑) 。あるいは払う寸前になると、伝票をプーッと風で吹くとかね、向こうに行くように。

 事ほど左様に、大阪人は稼ぐことについてはがめつい。名古屋人はため込むことについてはけちで、全然遣うことをしない。貯めるのが命みたいなね、貯金通帳になんぼ金額が増えるかというのが、趣味にしている人は多いですから。東京人というのは、これはもう気風がいいですから、宵越しの金は持たない。遣う時の生きの良さというのはすばらしいですね。もう……「いよっ、ペーン」ですからね、一晩でも。

 これを組み合わせているんですよ、松下というのは。まさに大阪人のようにがめつく稼ぐと。事業部にギャッギャッギャッギャッ言って、稼いでますね。稼いだら、ダーッとこのタンクに行って、名古屋人のように一切遣わずに、ダッダッダッダッ、貯め込むわけですよ。ほとんど遣うことないですね。だから、「金貸してよ」「駄目っ」「駄目っ」。

 ここで借りようものなら、普通の市中銀行で借りる金利よりも高いんです。お金、銀行に貸す(借りる?)でしょ、松下銀行に。利息は市中銀行より安い(高い?)んですよ。そこで何を言われるか、「あなたたちの本業は何? お金を回して儲けることじゃないでしょう。事業をやって儲けることでしょ」、そうやって言われるんです。だから必死になって稼がなきゃなんないね。こういう水瓶に、ダッダッダッダッ稼ぎまくる。だから名古屋人のように貯め……。  

 最後、ここがポイントですね、貯め込んだ金をいかに、どこで堰を切って落とすか。金はまとめて遣えということですわ。ちびちび遣ってたら、これは効果は少ないんです。例えば、例えばの例ですよ。あなたが知り合いの家が土建屋さんをしてました、建築屋さんをしてました。そこに「家を建ててください」と頼んだ。ところが手違いがあって、いろいろクレームが出た。本当は八百万、お金を払わなきゃいけないところを、本当は八百万払わなきゃいけないんだけど、クレームがあるから、「うちは払いたくない、いろいろ揉めた」、こっちの金もなかったから、ちびちびと、「月五万円ずつぐらいにさせてよ」という話もしたんだけど。この話でいくと、「あんたんとこは、あんたんとこにもクレームあるんだからこれを半額にまけや、そのかわり払う時には即金で払いますよ、ポーンと」……そうすると、双方金利分だけでも儲かるわけね。

 ……というぐらいに、お金を遣う時にはまとめて遣う。そのかわり、この大阪人のように稼ぎ、名古屋人のように貯め、じーっと稼いで稼いで稼ぎまくる、貯めに貯めまくる、で、一気に遣う。実はこれがすっごい余力を生みます、精神的に。一回、試してみてください。

 この余力がある分― さっきも言いましたね― 半年間、もし全然食えなくてもいける余裕があるんだったら、何でもできるちゅう話をしましたよね。あるいは三年余力があるんだったらという話をしましたね。年収の半年分、あるいは三年分を持ってたら、事業家としては、ものすごい大胆な手が打てます。 

 例えば電池の、松下電池工業いうてありましたね。そのコストダウンをやる時に、幸之助さんは何をやったか。でーっとコストを詰めてく、どんどんどんどん、コストダウンをしていく。ところがいつまで経っても、コストが減らない。「そうだ」、何をしようか、マンガンの山ごと買ったんですよ、「それが一番安くつく」と。それぐらいの思い切った手が打てる。だからこれもまさに、この水瓶があればこそですね。

 ただ、言っておきますけど、最近の松下は逆に裏目に出てて、これがあることによって依頼心ができるというか、「うちは安泰なんだ、でかいんだ」という、逆に大企業病が出てる反面の部分があります。これがまさに幸之助さんがいなくなったことによる、手綱を締めなくなった部分が、やっぱり出てきていますね。それを何とかしなきゃいけないんで私も頑張っておるんですが……そういう部分があります。

 これはまさに「金を貯め込む」というほうです。これは皆さん、ぜひいっぺんやってみてください、騙されたと思って。実はこの話を、京セラの稲盛さんがある講演会で、創業者から聞かれたんですね。その時に中小企業のおっちゃんばっかり集まってまして、当時京セラも中小企業でした。その時に、他の人は全然見向きもしなかったのに、稲盛さんだけはその話を聞いて、「なるほど、これや。私がこれをやったら絶対いける」という確信を持って帰られてやられたと。

 他の経営者はなんて質問をした、「松下さん、それはあんた、ダムを持ってゆとりを持つのはいいけど、その貯めるのが大変だよな。あんた、『稼げ』って言うけど、稼げないんだもんな。『貯めろ』というけど、貯められないもんな。余裕を持とうにも、余裕を持てないんですよ、どうやって貯めたらいいんですか」と。その時に創業者曰く、「まずそういうことを、あなたが強く思うかどうかですね。強く思うんだったらできるでしょう」という返答をされてるんですが。

 これはどの経営でも、たぶん同じ原理でいくと思います。だから家計でも一緒ですし、皆さんの会社でもそうですし、この余力があれば、いざという時に困らないですからね。日本の国の経営もまさに同じだと。

 それからもう一つ、これ、撮りますか? いいですか?

 事務局 電源入れないと……。

 宇佐美 えーと、ここ、電源が……

 事務局 伸びない。

 宇佐美 じゃあ、あとで……

 事務局 あれがあるんで、接続コードがありますから。

 宇佐美 そうですか。

 その次、これもぜひ、ぜひぜひ、覚えて帰ってください。人が育つって、なぜ事業部制だと人が育つのか。このメカニズムを私じーっと考えて、これだなということがようやく分かったんですよ。これ、大脳生理学の話をちょっと交えますんで、難しくならないように分かりやすく書きますが。

 皆さん、事業部長になってください。いろいろ経営のノウハウとか知識があります。皆さん、いろいろ知識を勉強されると思います。これは本であるとか、あるいは人からであるとか、あるいはいろいろありますね、新聞であるとか。それからもう一つ、経験というのがあると思います。これはいろんな生い立ちであるとか、仕事だとか、プライベートな個人的なこととか、いろんな形での過去の経験があろうかなと。当然、われわれの頭というのは、こういう過去の知識とか経験がぐちゃぐちゃになって、一つのデータベース……こんなようなものが構成されているんだろうと。

 それで、ここに一つの目標というか、学校の試験でも結構です、何か問題が与えられたと、「五%の利益を出さなきゃいけない」とか、そういう問題が出されました。普通ですと、穴埋め問題だったら、どっか参考書を調べて、この「知識」でもって、いま持っているものをそのまま当てはめたら、この答えになると思いますね。あるいは、過去同じ問題をやったことがあると、過去同じ経験をしたことがあるというんだったら、この「経験」というものから、直接答えが出てくるだろう。

 ですから、通常われわれの頭というのは、よく、「あの人は理論派だ」とか、「あの人は実戦派だ、たたき上げだ」とかいいますけれども、どっちが多いかどっちが少ないかというような議論を、しているんだろうというふうに思いますが、どうも事業部制というのを研究していくと、これだけじゃないなということに、私は気付き始めてきたんですよ。 どういうことかというと、さっきも言ったように、事業部制というのは、非常に切羽詰まった厳しい状況がありますね。逃げられません、一〇%の目標があります、非常に高い目標があります。「アイロンしかできない」という、追い詰められた環境もあります。しかもこのことに対して、自ら宣言をしますから、「自らの計画だ、簡単に降ろすに降ろせないんだ」と。

 ですからだいたいでいくと、自分の実力が一〇〇だとすると、だいたい一二〇ぐらいでこの目標が、事業部制の場合、組まざるをえないと。ですから普通の努力で、いままの過去の知識や経験だけじゃ、これに対する答えが出ない。しかも自分のたてた目標ですから「何とかしてここに必達しよう」という執念が湧きますね。実はここから非常に重要なことが出てくるんじゃないかなと。

 これはまず、こういう目標を達成しなきゃいけませんから、自分が持っている知識や経験だけでは、当然答えが出ません。そうすると壁にぶちあたった時にどうするか。自分以外のいろんな人の知恵を使うわけですよ。これ、いろんな人の頭― 頭脳― だと思ってください。つまり、「いま私はこういうことで迷ってる。こういうことをしたいと思ってるが、きみ、どない思いますか? あなたどう感じますか?」。

 茅ヶ崎へ行って、上甲さんの話を聞いたと思いますね。その時に「素直な心で」という話をされたんだろうと思いますが、覚えてます? あの時に、あるがままを全部受入れなさいとか、そういう話をされましたね。普通、自分がこうやってて、何か人に話すでしょう、「しかしきみ、その計画は甘いんじゃないのか。こうこうこういうところにも、問題があるんじゃないか」と言われると、普通だったら、「いやいや、そんなことはない。それはちゃんとこういう形で検討してある」とか、いろいろ言い訳したり、自己を正当化するために、プロテクターを掛けるでしょう。

 ところが、いま見てくださいよ。こんな高い目標、普通じゃできない。しかも自分の力の一二〇%だ。その時に、だれかこの人が何か言うたと、そういうネガティブなことを言うたと、これをどういうふうに取りますか? こういう必死の状況に置かれると、だいたいこう取るんです、「なるほど、そういう考えもあるのか」と。「せやな、なるほどな、そういう見方、考え方があったか。それは気付いてなかった。それを取り入れたら、やっぱり成功するかもしれんな。それも取り入れたろ」。この人が言うたと、全く全然違うことを言うたと、「なるほど、そうやな、それも材料として使うたろ」と。だからどんどんどんどん、材料が増えてくるんですよ。

 その時にいちいち反論してたら、この材料は入ってきませんよね。必死になって、これ素直に聞くでしょ。だから「素直な心で聞こう」という姿勢というのは、その大前提として、こういう高い目標とか、必達への執念とか、まさに向上心というのが、自己の向上心これが前提にないと、たぶん素直な心にはなれないんだろうな。

 事業部制というのは、まさにそういうことを、否がおうでも、そういう環境に人間を置いてしまうと。だから必死になって、皆、これ、素直に聞くでしょう。そうするとこの中で、「なるほど、こういう考え方もああいう考え方もある」、いろんな人の衆知が集まりますね。自分の考え方に囚われずに、いろんな人の考え方が融合されてきますね。

 ところがもう一つ重要なのは、この材料が入ってきて、自分の考え方も入るんだけれども、これをコンピュータでいうとこの、自分の頭の中でCPUでもって― 中央演算装置でもって― 思索するんです、考えて考えて考えぬくんです。これだけ高い目標をやろうと思うと、いままでの知識、経験だけじゃ、何ともならない。いろんな人に素直に聞いてみたと、それだけでも何ともならない。思索してみる、「なぜなんだろう、何のためにこれをやるんだろう、どうしたらいけるんだろう」。

 それで、ここでやってみるわけですね、実行してみる、これを繰り返すわけですよ。実行してみる、思索してみるという。そのうち、はたと気付く、うまくいく。その時に幸之助用語を借りるならば、「悟り」というんですか、「なるほど、このことか」。この悟り「あ、こういうことなんだな」というのが分かったら、このパターンが、「経営というのはこういうことなんだな」と― これが重要なんです― このパターンが経験を通じて、思索を通じて出てきたやつが、また自分の頭の中に戻っていくと。

 これを繰り返すことによって、単なる言葉で聞いていたこと、あるいは単に経験しただけのことが、どんどん練れて練れて、思想的にどんどん深いものになってきて、「経営とはこういうもんや」と、コツが分かってくるわけですね。これは皆さん、聞かれたかしりませんが、「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」という言葉は、この本の中にも出てきますが。

 まさに― 前回も言いましたけど― 言われたこと、これは哲学でもなきゃ、思想でもありません。ただ経験しただけのこと、これもその意味が分かってなかったら、何の意味もない。ところがこういう形でも、必死になって、より高いことをやろうという向上心の中で、知らない間にこれをやってるんですね。その中で気付いたこと、「ああ、分かったこのことを言いたかったんだな」、これで初めて「なるほど」ということで、経営理念あるいは考え方が、一つ一つ分かっていくと。実は「事業部制」というのは、このことをまさに事業部長に課したことなんだろうなと。

 この気付いた時の喜びというのは、まさに経験がある方は分かると思うんですが、「なるほど、このことを言いたかったのか、やったぁ」とか、まさに無上の喜びであり、人間の成長に繋がっているということなんでしょうね。この先に何があるかというのは、当然お客様に役に立つとか、あるいは社会に貢献するという経営理念があって、「そのことをやるんだぞ」ということは、幸之助さんから、上から― さっきも言ったように― 言われていると。その高い目標に貢献するために、さらにこういう具体的なことで挑戦をすると、これがこういうメカニズムでずーっと回っていくという。

 これもぜひ皆さん、話で聞くだけじゃなくて、ご自身でやってみてください。だからいま自分がやっていることは、ここを使って、こう出しているだけなのかなと。だからよくリストラとか、環境がおかしくなったというと、本屋に行って、リストラの本を買ってきて読むでしょう。そこに答えが出てないかなって、見るじゃないですか。あれ、絶対、答えなんか出てませんから。やってみたら分かりますよ、自分で。うまくいかないから、それだけでは。あるいは過去の経験で、「あの一番近いあの経験でやったことを、そのままやってみよう」と思ったら、絶対うまくいかないですから。環境が違うからね。

 そうすると、いろんな人の意見を聞きながら、自分でいろいろ思索をしやってみると、これしかないですね。 

 時間がある程度、来ましたんで、最後に一言。皆さん、「トウ小平理論はトウ小平理論に非ず」という言葉を、聞いたことはあるでしょうか? ないですか。トウ小平という方は非常に現実的な方で、常日頃からいろんな環境、いろんな条件の中で、自分の価値判断をしていったという人なんですね。ですから「トウ小平理論」というものは全然なくて、その価値判断というか、このパターンというんですか、ここに独自性があったと。要するに決まりきったこういう型でもって、常にものを見たんじゃなくて、常に型というのは柔軟に判断していったということをいわれるんですが(トウの字はOASYSでは見当たりません、申し訳ありません)。

 松下幸之助さんの話も、言葉尻だけ取ると、非常に矛盾した所がたくさんあります。彼はここの思索をしながら、自ら答えを出す、自ら結果を出すということを、一方で「首座を保つ」ということを言ってんです。私、最初、この「首座を保つ」ということと「素直な心」とは、矛盾するんじゃないかと思ったんですよ。普通、素直な心というのは従順に人のことを聞くとか……いいますよね? そう取るじゃないですか。ところがこっちは、「首座を保て、己の価値観、基軸をはっきりせい」という、一見すると誤解するようなことを、平然と言ってのけられると。

 ですからこれを整理して体系づけるまでに、非常に僕もよく分からなかった。ところが事業部制のメカニズムを解明すると、こういうことが分かってくるなと。ですから物事の表面的な字面ではなくて、まさに経験の中から、自分の思索とか体験の中から、このことの意味というのを、ご自分なりで掴んでいって戴ければ、前回、「建設的な態度で臨むためにはどうするか?」という江口さんの質問に、お答えできるんかなというふうに思います。

 長時間になりましたが、以上でお話を終えたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)。

 事務局 若干、時間を貰って、質疑応答をしたいと思います。どなたでも挙手をして言ってください。どうぞ。

 男性(島本?) 幸之助さんの「金儲け」、金を儲けて心に余裕ができてきて……事業部制を採用したという話もありますけれども、それによってだんだん心の余裕というか、例えばこの政経塾を創るなり、あるいはPHP、そういうものが出てきます。例えば、その段階でちょっと分けると、第一段階ではやっぱり経済至上主義つったらおかしいですけれども、やっぱり金儲けに徹して、その結果、金■■を蓄積して、あとで企業メセナとかそういう文化みたいなものに、目を向けていかなきゃいけないのかという点が、一点目の質問と……。

 それと二点目の質問なんですけれども、組織の中で本社機能ということで、本社機能の中で携わっている「人材の育成」というのは、松下全社、どういう感じでちょっとやってはるのかな。例えばこれJRでしたら、僕自身もいまちょっと本社にいますけれども、ほとんど同期の人間とか、あるいは上の人間でも、うちは事業部制ではなくグループ会社制というのを敷いてまして、とりあえず短期・中期・長期で、とりあえず出向というやつで実■経験を踏まえてくると。そして本社に戻ってくるというような、一貫した人事育成がこれ最近ようやく変わりつつあるんですけれども、そのあたり、松下電器さんというのはどういうふうにやってられたのか……?

 宇佐美 二番目の質問については、いい本がありますんで紹介しますわ。「物をつくる前に人をつくる」というタイトルの本で、ちょっと出版社とあれは忘れましたけど、これにそのまさに、事業部長経験者かな……が、松下の人づくりについて語っている本があって、これが松下の人材育成について、非常によく書かれている本だと思います。

 基本的にはいわゆる政経塾と一緒で、まさに自分で自分を磨く、自己教育、これがベースですね。ですからいっていることは、創業者とか何とかいいますが、基本理念は非常に当たり前のことしか言われない、それを自分で納得いくまで考えて悟りなさい、ということが一つでしょうね。あとはちょっと、短時間で言うのもちょっとあれなんで、ぜひ読んでください。 

 それから最初の問題は、これはバランスの問題だと思いますね。たとえば五百円しかない人が、じゃあ何もしなくていいかというと、「五百円の一割は何かそういうことにあてよう」という、そういう考え方もできるだろうし、それは心掛けの問題じゃないでしょうかね。

 さっきのダムの話も、例えば、創業者が「無税国家論」の話をする時に、全収入の一割でしたっけ、あれを蓄積していったらとか、一%でもいいから蓄積していったらという話があったんですが、%を決めて、一%なら、そんな大したことはないでしょう。そういうことで決めたらできなくはないと。そのへんが、始めから、端(はな)から「できない」と思っちゃうんですね。その時に一%、毎回必ずしなさいと。

 ある本で読みましたけど、「金がなくなった時はどうするんですか?」、「その時は借金しなさい。そのかわり、一%、続けていきなさい。借金は借金で別途返しなさい」というようなことを言われてます。つまり一%を続けるということを、絶対崩さないこと、それが思いを実現する絶対の近道であるという、そういうようなことを言われてますんで、まさに自分で決めたら、例えばできる範囲でいいから、それを設定して続けることでしょうね。そうしないとさっきのように、ダムというのは絶対に溜まってこないですよね。それはいえるだろうと思いますね。

 女性 (声が小さくDI不能)ですけれども。とにかく営業マンの方は、物を売ってなんぼのものだという考え方が、かなり浸透してまして、お金で回収できなくても、手形さえ貰っていると、とりあえず売上は達するという考え方で仕事をされてるんで、いま仰られたみたいな形で、営業マンの方自体からの計画をたてるというのが、非常に(声が小さくDI不能)ですが、そういった問題はなくなるんじゃないかと思ったんですけれども。 逆にそういうふうなやり方をやってますと、本当に売って、利益をあげるというふうには売らなくちゃできないんでしょうけれども、そういった本業のほうがおろそかになってしまうと思いますが、何回も何回も計画をたて直して、初めて■■という、その作業を……やるというのと、どういうふうに……?

 宇佐美 そうですね、仰る通りだと思いますよ。だから、「五十一のほうのいいとことと四十九の悪いところ」という、その考え方じゃないかと思いますね。もちろんそのことをやるために、機械化をしながらやっていくということは、いまやっていますし。いまでは、われわれの取り組んで(われわれの取り組みで?)、二日間でそのことができるような、あるいは二週間ぐらいでできるような形に、コンピュータでもって、そのプロセスを短期間でやろうということにしてます。 

 それともう一ついまの、セールスマンがいわゆる自主責任でもってやる考え方の中で、「商店別経営」というような発想があって。つまり「何々商店」という形で、各商店それぞれの経営者なんだと、それぞれのセールスマンが、「だからちゃんと粗利管理もしなさいよ」とか、「かかった費用はそこから引きますよ」とか、そういう一人一人の事業部制というんですか、そういうのも応用しながらやってますね。

 ただし、なかなか運用定着は難しいです。仰る通りセールスマンというのは、どっちかというと、■■(狩人?)みたいなところがあって、どんどん売ってきて稼ぐほうが先ですから、そのへんはバランスの問題でしょうね。  

 事務局 じゃあ今日は、これで終わりたいと思います。

 宇佐美 えーと、すいません。実は2期生の方には以前お話をしたんですが……

 事務局 してないんじゃないの?

 宇佐美 いや、この話でしょう? あ、ちゃうちゃう、中身の話。実は昨年の九月ですか、こちらに来させて戴いて、実はいわゆる皆さんがこれからやろうとしている、いろんな研究ですとか、あるいはいろんな企画ですとか、あるいはわれわれですと「改革の志」とかそういうのを、どうやったらたてられるのかということで、まとめた講義をさせて戴きました。ですからここのイグマさんとかタカハシさんなんかは、もうお聞き戴いているんですが。それを、こちらでテープ起こしをして戴いて、こういう冊子を作りました。これは私が政経塾でやってきたこと、あるいは今日お話ししたような話の経緯とかなんかを全部凝縮して書いてあるもんです。どうでしょうね、いま出せる、私自身のベストのものが、ここに凝縮してます(「改革の志のたて方」)。

 構成は一番最初に「レジュメ」という形で、一般的に、「どうしたら志がたてられるのか」、あるいは「自分自身として納得いく人生を、どう構築していくか」というような、そういう話。中盤の部分は皆さんに協力戴いて、そこでやった講義、これをまとめさせて戴いた。最後、これはちょっとこちらの皆さんに渡してない部分なんですが、私がいままでまとめてきた、今日使ったようなこういう資料とか、さっきパソコン通信の話をしましたよね、ああいう物とか、そういうのを全部資料として付けております。

 それでできればこちらでもって、また代々テキストで使って戴けたら、またいいんじゃないかなと思うんですが。甲斐さん。

 事務局 はい。とりあえず、いくらで売ってくださるんでしたっけ?

 宇佐美 えーと、定価は一応、私の会社のほうでやってますんで、二九八〇円ということで、ちょっと部数が少なかったんで、単価が高くなったんですが、特別価格で二一〇〇円ということで、七掛けでもって、こちらにはお渡ししたいなと思うんで、ぜひともご購入戴けたらと思います。

 皆さん二月からですか、個人でテーマを持たれて、またやられますね。その時にぜひ参考になると思いますんで、これを読んでやって戴けたら。先日、茅ヶ崎に帰った時も、後輩がやっぱり同じように、「これから研修計画をたてるんだ」つって、これを渡して読ませたら、「宇佐美さん、これ、いいあんちょこですね」つって言ってましたけども。

 これ、どうでしょう、過去こういうことをまとめてくれた先輩がいなかったんで、私が率先して作りました。ですからぜひ参考になると思いますんで、お買い求め戴けたらと思います。

 事務局 じゃ、紙を回しますから、希望の人は名前書いてください。ちなみに茅ヶ崎の一年生から二年生になる時、フェロー試験というのがありまして、自分の研究テーマを審査して貰うんだけれども、そのために呼んだ先輩が二人いまして、一人が宇佐美くん、それからもう一人が山井くんという、こっちのほうが先取りをしているんですけれども。

 ということで、じゃ、今日はどうもお疲れさまでした、ありがとうございました。

 宇佐美 どうもありがとうございました(拍手)。

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