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事業部制と松下幸之助の経営理念

宇佐美 泰一郎(松下政経塾第7期卒業生)
『師と志 松下幸之助塾主への思い』松下政経塾編 1991年発行

  1990年9月下旬、松下電器産業副社長であり、当時アメリカの映画会社MCA買収交渉の責任者でもあった平田副社長は、色々な事業場から集まった、15名程の経理社員との懇談の場でこのようなお話をされました。

 「私は今この重大な( MCA買収という)決断に当たって、毎晩眠れない日が続いているんです。このことが、松下の将来にとって本当にいいことなのかどうか、考えて考えて考え抜いています。そして、私たちの原点である松下幸之助相談役にたちかえって考えてみますと、相談役も会社の将来を左右するような重大な決断を何度もされてきたわけです。そして、そのたびにあの大きな耳で、実に『素直な心』で色々な人たちの意見を聞いてこられたわけですが、その結果どういう決断を下したのかを振り返ってみると、これが意外にも他から聞いた意見とは全く反対の決断をされているんです。我々は今まで『素直な心』で人の話を聞くということで考えていたけれども、相談役はそういう意見を真剣に聞いた上で、本当の真実はなにかと『考えて考えて考え抜いた』上で決断を下された。この『考え抜く』ということがいかに大事かということだと思います。……」

 このお話を隣で聞かせていただいた私は、あまりにも大きな衝撃で樗然とした思いがいたしました。「自分は今まで素直な心というものを表面的な意味でしか理解していなかったんだ」と。
 私は政経塾を本科二年で卒業した後、この平田副社長のもとで経理Vision1列という組織変革、文化革命を目指した、全社の改革プロジェクトに参加し、約二年半の間仕事をさせていただきました。これは時代の変化に即応したコンピュータの活用によって仕事のやりかたそのものを変えていこうというものです。
 この間、世界中の松下の関係会社を回って、国際パソコン通信のネットワーク構築の仕事をさせていただいたり、また現在は、現場の色々な事業場に足を運んで問題点を調査し改善するという経営コンサルタントとして改革の仕事をさせていただいております。
 こうした仕事を通じて松下の本社の中枢の中から、また色々な現場へ何度も何度も出向く中で、私は冒頭にご紹介しましたようなことを毎日のように感じたり、気づいたり、驚いたりもいたしました。
 ある時は、「政経塾で学んだあのことは、実は幸之助さんはこういうことをいわんとされておったんだな」と思ったり、また「幸之助さんの言われたことと現実の経営とではえらい違うな」とも感じたりしてまいりました。
 そして今感じますことは、政経塾では幸之助塾主の思想の表面的な部分を勉強しただけであって、具体的に現実の経営の現場を見、体験することではじめて少しずつ本当に意味するところがわかってくるものだなという実感がいたしております。
 さて、こうして色々と勉強させていただく中で、私にとってもっとも不可解で、しかも矛盾に思われるのが、「事業部制」という問題であります。「ダム式経営」「水道哲学」「ものをつくる前に人をつくる」「衆知を集める経営」「全員経営」「自主責任経営」「お客様第一」「無借金経営」等々、松下のユニークな経営思想、経営管理制度というものがたくさんある中で、しかも松下経営の骨格を支える、この「事業部制」というものが一体本当に何を狙いとするものなのか? やや大げさな言い方になりますが、本当に矛盾に思えてきたのです。

  事業部制とは、「一つ一つの事業部と称される単位が、製品別、地域別などの単位に分化して、それぞれがどれだけの利益を上げねばならないかという利益責任をもった組織単位(プロフイットセンター)から構成される経営組織」のことであると、経営学の教科書には出て参ります。言い換えると、同じ一つの会社の中に収支も別、決算も別、資産も別々に持つという独立したいくつもの会社が、できているようなものです。松下の事業部制は、幸之助さんの発明したものだけに、これらが強力に指向され、徹底されています。それぞれの事業部が、「自主責任経営」に徹しているわけです。
  事業部制は、大きく分けると三つの種類があって、@製品別事業部制、A地域別事業部制、B得意先(ルート)別事業部制、というものがありますが、松下は@の製品別事業部制をとっています。
つまり、テレビ事業部とかビデオ事業部とかアイロン事業部とか掃除機事業部とかいうように、個々の製品別の事業部組織です。
  歴史的には、昭和8年、松下電器が本社を現在の門真市に移転した折り、今まで幸之助さんが一人で全部面倒を見てきたものを、千八百名程の従業員を抱える大所帯になったこともあって、もはや色々なことに応じて一人で処理しきれなくなったということもあって、ラジオ部門を第一事業部、ランプ・乾電池部門を第二事業部、配線記具・電熱器部門を第三事業部として発足させたのが、松下における事業部制の始まりでありました。そして製品の開発から製造販売、収支に至るまで、各事業部の事業部長に任され、それぞれが独立採算で運営されたわけです。
  また、その後さらに様々な制度が設けられ、こうした事業部制をより強固に鉄壁なものにしていったわけです。例えば、内部資本金制度といって、新しく事業部として発足するような場合、通常の会社の設立と同じように一定の資本金が本社から出されます。しかし、その後は、全く独立した事業部として経営を行い、得られた利益の中から本社に配当のようなものを払うという制度です。
  また事業部は原則として借金はできません。しかし、万が一どうしても必要な投資のための資金がいるような場合は、本社の経理本部から借り受けることになります。絶対に町の市中銀行から借り入れることは許されていません。そして、本社から借り入れたお金には、同じ社内にもかかわらず金利を支払わねばなりません。それも、市中銀行の金利よりも高いのです。これなどは、幸之助さんの「まともに経営をしていたら、借金はしなくてもいいはずや。投資も自分達の儲けを蓄積した範囲で行うことが必要や」の言葉の現れであろうと思います。
  普通の企業であれば、余剰な資金を運用に回して、それを景気が悪いときや営業が不振で利益が上がらないときに補填するというようなことがありますが、松下の事業部では、それもできません。
余剰な資金はすべて本社経理本部に集められて、そこがまとめて運用するわけです。いわゆる「松下銀行」といわれるものです。
  さらに アイロン事業部であれば、あくまでもアイロンだけしか手掛けられません。どんなにビデオという市場が伸びていても、アイロンしかやれない。どんなことがあっても、その道で食って行くしかないのです。
  そして事業部に課せられた利益目標は、売上高利益率10%、売上前年対比10%、つまり前の年に比べて10%の売上増と、百万円得られたら諸々の経費を引いて十万円の利益を残さねばならないということです。まさに経営者事業部長としては、崖っぶちにたたされて経営するのと同じです。そして、二年続けて減益の場合は、事業部長は首になってしまいます。
  さらに、この事業部個々の経営目標を達成するために、本社経理本部の配下から経理責任者が事業部長の番頭さんのような形で経営をサポートいたします。経理責任者の人事権は本社の経理本部にあって、形の上では事業部長の下で働くのですが、しかし事業部長は経理責任者の首を切るわけにはいかないのです。
  ですから、どんなに事業部長が右と言っていても、経営という観点から間違っているのであれば、経理責任者はあえてNOというわけです。
  つまり、「自主責任経営」「任せる経営」とはいうものの、現実はむしろ過酷であって、任せる以上は非常に厳しい条件の中で結果を出していかなければならないのです。これも幸之助さんの事業にかけるなみなみならぬ厳しさ、執念の現れであると思います。
  ところが、私が仕事をさせていただく中で この事業部制のいくつもの矛盾を感じることに出会いました。いわば事業部制の弊害といわれるようなものにぶつかっていったのです。
  例えば、私が国際パソコン通信の仕事を始めて間もない頃のことです。パソコン通信をするために必要な端末などの設備を用意しなくてはなりません。当然、 本社のトップがこれは必要なことだと大々的に訴えてくれているのですが、なかなか事業部では設備を買っていただけません。自分達の事業部の収支を考えるとどうしても難しいと言うのです。それならば本社で買って配ったらとも進言したのですが、これも許されません。ある事業部で儲けたものを別の事業に回すということは絶対にしないという方針の現れだそうです。
  また、このパソコン通信の中で事業部を越えて、松下の将来のことなどを若手社員が中心に話し合おうというコーナーがあるのですが、これなども現場の責任者の方たちは、「確かにそういうことは必要かも知れないが、しかしそれは彼らの仕事ではない。所詮遊びじゃないか? だからそんなことは許すわけにはいかない」といった状況です。
  また、コンピュータのネットワークには、端末機種の統一化ということは、重要ですが、これも事業部によってバラバラで統一がとれておらず、大変に苦労しました。
  他方、営業の現場へ行ってみますと、商品と一緒にお客様に送る納品伝票もフォームがバラバラで困るというようなことも言われます。また、お客様がいくつかの事業部にまたがるような品物を注文すると、それらの品物は各事業部からバラバラに送られてくるといった具合です。
  またかつてあった有名な話なんですが、ラジオ事業部と録音機事業部から、同じラジカセが開発されました。それぞれにアメリカに輸出していたのですが、たまたま同じお客様のところに売りにいっており、双方でライバル意識をもって張り合って値を下げ結局安い方からお客様は買ったということがあったそうです。後日談としてそのお客様が言われたのは、「松下というのは、本当に面白い会社だ。全く同じ商品を違うところから売りにくる。結局我々は、それぞれの価格がわかっていたので、安い方から仕入れることができたけど」と。
 また仕事のやり方にしても、全く同じ問題で困っているのに、それぞれ自分達の力で解決しようと、同じような仕組みやシステムを独自に作っています。これなども、協力して解決すればもっと効果的に解決できるのでは? と考えさせられます。
 ここには明らかに「連結思想」の欠如と「自前主義」という課題が存在します。「連結思想」がないというのは、グループ全体から見て効率を向上させる仕組みを作る発想が欠如しているということ。そして、「自前主義」というのは、競争意識が強すぎて、何でも自分の力だけでやってしまおうということ になり、他から教えてもらったり、素直に協力してもらったりということが、できなくなっているのではないかというこどです。
 こうした矛盾というものを感じながら仕事をするうちにあることを考えるようになりました。つまり「確かに現実にはこうした大きな問題はあろうが、松下幸之助ほどの人であるから、事業部制の問題はお見通しのはずであっただろう。では何故あえて、事業部制を採用し経営制度の柱としたのだろうか?おそらくここにこそ、本当の意味で松下経営の秘密がかくされているんではないだろうか?」というものです。 そこで トップの方々、元事業部長のOBの人たち、現場の人たちに、松下学校の先生として事あるたびに聞いてみました。そうすると、たしかにそのことはやはり昔から議論があったそうです。
 そして幸之助さんもそのことは承知の上で、こう言われたそうです。「51の良い点と49の悪い点があるんやったら、わしは51の方をとる」というのです。
 このことを聞いてさらに興味が湧いてきました。「それでは、その51の良い点というのは一体なんだろうから?ということです。これに対するみなさんの答えは、ほぼ共通していました。「事業部制だと、必死にみんなが働く」「事業部制で権限が下に委譲されるから、どんなに若い人間でも活気に満ちて、生き生きと働けるんだ」「事業部制で人が育つ」ということで、みなさん「人」を生かす、そして「人」が育つということにありました。
 幸之助さんは『経営百話』の中で、「ある人になにか仕事を任せる場合、適切かどうか色々あるがまず60%やったらまかせる。80%やったらいいけれども、それでは遅いし人は育たない」というようなことを言われています。経営者としては実に思い切った勇気のいることだと思いますが、
しかしこの事業部制というのは確かにそういうことが言えるのではないかな、と思います。
 松下の事業部制を支える経理制度の柱に、事業計画制度というものがあります。当然どこの会社も、年度明けの初めには、予算とか計画があるわけです。今期はどれだけの売上が予想され、資材の調達、仕入れはどのくらい行い、どのくらいの投資をし、どれだけの経費がかかるのか? 資金はどれくらいいるのか? ということがあらかじめ計画された上で事業が行われます。ただ普通の会社でありますと、こうした計画はいわゆるスタッフ部門で過去の実績や統計数値からまとめられ、トップの決断で決められ現場におろされるのが普通です。
 ところが松下の場合は、これとは全く違います。それこそ現場の各部門の担当者が来期の自分達の目標を掲げるわけです。売上の目標であれば、営業一課から始まって二課、三課とすべて掲げます。それぞれ、どの商品をどれだけ売るのかを決めるわけです。それに基づき、購買課では仕入れの計画、製造課であれば設備投資の計画や人事課であれば人員計画、そしてそういう個々の目標数値が経理に集められて、最終的な利益計画や資金計画になっていくわけです。そうして、これが事業部長の承認を受け、本社経理部の承認、さらに社長の承認を受けますと、「お墨付き」というものが得られて初めて事業が始められるわけです。
 ここには、それこそ事業部の各部門全員のものすごいエネルギーがかけられます。年間一回、この事業計画がたてられるわけですが、この間はそれこそ、皆徹夜に近い状態で行われます。もし万が一、事業部長や本社の承認が得られない場合は、もう一度各部門に落とされ、最初から積み上げが始まります。
 私は最初「何故こんな大変なことするんだろうな」と思っていましたが、よくよく考えると事業部制の根本と大きく関わっていることに気づきました。確かに上が決めてしまえば、短期間に決められるわけですが、しかし経営のすべてを任されている、それも全員に任されているわけだから、自分達の目標を自分達で決める方が張り合いがあります。人から言われてやるのではなく、自分達で計画し目標をたてるわけです。
 一見時間はかかるようですが、それぞれが計画の達成に対し執念がもてる、やる気も湧いてきます。そしてその期が終わって計画が達成されれば、やはり喜びもひとしおだし、しかも事業部の全員でわかち合えるというものです。
 さらに、厳しい目標であればあるほど、当然市場のお客様の声には真剣に耳を傾け良い商品を作らなければならないということにもなると思います。そのことで より一層良い商品、強い商品が作れるし、結果としての利益も出てくるということだろうと思います。
 自分達で計画を立て、実行し、そして反省する。常に独立している。責任を伴う反面、任される (事実、事業部制ができた当時は、工場長も20代の若者に任されていたそうです)。厳しさもあるが、やりがいもある。このことで、生き生きと働け、力も発揮でき、人も育ち、全員が経営に参加できるということだと思います。これも、幼い頃から病弱だった幸之助さんが、「皆にたのんで働いていただく、その上ですべてを任せる」ということの現れなのかとも思います。
 しかし、これだけでは事業部個々にはいいけれども、全体としてのまとまりがなくなる、つまり糸の切れた凧のようにみんなばらばらになってしまいます。そこで、幸之助さんは「松下として一体何を目指すのか」という共通の経営理念、経営方針というものをことある度に訴えられたのだと思います。そして、どこの事業部へ行っても、同じように朝夕会では、七精神を唱和しています。
 そのことが松下としての一体感と求心力になり、別々の方向へ飛んで行かないようにしているのだと思います。
 それも「社会への貢献」ということが重要で、「この事業部は○○をしなさい」とかいうものでなく、そういう基本の理念にかなっていれば、自由にやってよいという柔軟性というか包容力みたいなものもあるんだと思います。
 結果としてみると、一人一人の社員が最も活性化し人が育つ。また個々の事業部をとってみてもお客様に喜ばれる強い商品が生まれ、結果として利益がでる。そして全社的にも、同じ目標、同じ理念を目指して一体になれるということだと思います。
 ですから、個々事業部制によって生まれる問題点があることは承知の上で、それはそれとして今日まで事業部制をとりつづけてきた背景があるんだろうな(※)、そういう所に本質の部分があるんじゃないかなという気が自分自身いたしてまいりました。(※ 1991年当時)
 しかし、冒頭のお話でも申し上げましたが、わかったと思ったら、またわからなくなるのが現実でありまして、今現在はこう考えていても、またさらに違った部分やより深い部分が発見できると思います。
 松尾芭蕉が弟子たちに送った有名な言葉で、「故人の後を求めず、故人の求めたるを求めよ」というものがあります。幸之助さんが塾生に対して言われた、「政治も経済も根本は経営やで」といわれたのが、松下の経営を勉強する過程で、少しずつ「こういうことなのかな」と感じられてきたと同時に、「松下の経営の発想に立つとすると幸之助さんの求めておられたものは本当はこういうことかな」とも少しずつ感ずる昨今です。偉大なる師を持った政経塾生の誇りをもって、今後それを現実のものとして具現化すべく、さらに自己研讃に励もうと思います。