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「友情の第九」徳島から発信
読売新聞(1995年12月25日夕刊社会面トップ記事)
年の瀬恒例のベートーベン「第九交響曲」が、第1時対戦中に徳島県鳴門市のドイツ兵捕虜収容所で本邦初演された史実をもとに、捕虜と所員の交流を描いた物語「友情という名のシンフォニー(交響曲)」が25日、ゆかりの徳島からインターネットを通じ、英語やドイツ語など九か国語に翻訳され世界へ発信された。
第1次世界大戦中、ドイツの軍将兵約千人が中国・青島で捕虜になり、1917年四月から20年1月まで、鳴門市の「板東俘虜収容所」で過ごした。所長の配慮で大幅に自由を認められ、製パンや酪農技術を伝えるなど地元の人とも交流した。
交響楽団も編成され、手作りのチェロなどを交えて、18年6月1日、収容所内でわが国初の「交響曲第九番」が演奏された。
今年十月、四国霊場八十八か所の第一番札所・霊山寺(鳴門市)の芳村秀全・副住職やアメリカ人ジャーナリス卜らが徳島市に「マンダラネット」(立石聡明代表)を開設し、インターネットへの接続サービスを開始。世界へ発信する最初の情報として、地元にゆかりの深いエピソードを紹介することにした。
物語では、日本人所員のケンジとドイツ兵ジョージを中心に収容所での生活を紹介。日本人やドイツ人としてではなく、"バンドー(板東)人"として、第九を演奏しようと心を一つにする交流をフィクションに仕上げる。
パソコン通信により、立石さん(30)らが各国の友人に翻訳を依頼・鳴門市ドイツ館の協力で収容所写真十枚を織り込み、「第九」も聴くことができるホームページ(15ページ)の開設にこぎつけ、25日午前九時から発信をはじめた。
同館の森元繁一館長は「交流が実現したと言う事実は徳島県内でも十分知られていない。最新メディアを使い、地球規模で発信する意義大きい」と話している。
「友情交響曲」(窓 論説委員室から)
朝日新聞 (1995年12月22日日夕刊トップ)
日本で歳末恒例となっているベートーベンの交響曲「第九」の演奏にちなむ話を―。
第一次大戦中、徳島県鳴門市板東にあったドイツ人兵士の収容所でのことだ。中国で捕虜となったドイツ人兵士らは比較的自由な活動を保証されていた。
収容所のまわりには即席の商店や図書館、音楽館、菜園などが並ぶ[ドイツ街」ができ、演劇やスポーツ、講演会、さらには「コンサー卜」など多彩な活動が繰り広げられた。
そこで演奏された曲目の一つが「第九」。日本で「第九」の全曲が本格的に演奏されたのは初めてだったともいわれる。
戦争は終結。捕虜たちは1919年のクリスマスのころに母国へ戻った。1962年、そのうちの一人から徳島に手紙が届いた。「なつかしかったバンドーの近況は……」
関係者は捕虜収容所のゆかりの地を8ミリに撮影してドイツヘ送り、それが縁で再び交流が始まった。1993年には、鳴門市に「ドイツ館」が再建され、今は当時をしのぶ博物館になっている。
徳島市でインターネットの接続サービスを行っているマンダラネットは、クリスマスの特別企画として、この「友情という名のシンフォニー」を世界の8カ国の言葉に翻訳し、インターネットを通じて発信する。一時は敵対した日本とドイツの青年らが、音楽を通じて友情を深め合うという話である。
「戦後50年を迎えた今年のクリスマスに、世界中の子どもたちの未来と恒久の平和が実現することを願って」と、マンダラネット主宰者の立石聡明さん発信はグリニッジ標準時間の25日午前零時(日本時間の同日午前9時)に行われる。
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