トップ / 改革理論 / システムズ・アプローチによる改革の実践 / 第8章問題解決が進まない本当の理由
例え立派な実施案ができたとしても、それを実際に現実のものとして実行していくとなると、周りからすざましい抵抗や圧力を受けることがよくある。過去のしがらみがあったり、入り乱れた人間関係の中でどうにもならなかったりすることもしばしば。テーマが大きく複雑になればなるほど、利害対立、組織間の抗争、セクショナリズムなど、改革の推進を阻む極めてドロドロした現実の壁が待ち受けている。しかも既得権利を犯される人々は、どんなにそれが良いことだと判っていようと、必死になって改革の動きに抵抗を示すものであり、総論賛成各論反対の憂き目に合うことも多い。どんな小さな改革であっても、多かれ少なかれ、こうした抵抗の中を進まなければ成功はおぼつかないものである。
改革に最も必要なものは、こうした大きな抵抗にも負けずに、とにかく成功するまでやり続ける「執念」だといえる。中国の古典に、「執念を持っている人は、可能性を基礎に発想の展開が出来る人であり、執念のない人は、不可能を基礎に発想の展開を図っていく人である」とある。それほど改革には執念が大切である。
図 改革を阻む4つの心理的タイプ
しかし、勢いよくはじめ、自分では執念があるように思っていても、色々な障害に出会うと、人間心がめげてくるものである。この図は、こうした改革、問題解決を進める上で自分でも気付かないうちにかかってしまっている「改革を阻む4つの心理的タイプ」を示している。
タイプAは「弱い自分」。改革しょうという意欲はあっても、周囲からのさまざまなプレッシャーに打ち勝つことができない、執念を喪失してしまう心理である。改革案も作り、いざ実行ということで動き出しても、他の組織を巻き込んでいかなければならなかったり、うるさ方を説得しなければならなかったりと、周囲からの圧力があると、どうしてもこうした心理が少しずつ出てくるものである。
タイプBは「囚人」。改革しようと発想する以前に、目先のことに追われて、ただただ環境の中に縛り付けられ、身動きが取れず、主体性を失ってしまっている心理である。組織においては実務の中核者に多く、目の前の仕事をこなすことに追われ、疑問を疑問とも感じなくなってしまう。
タイプCは「頑固者」。これは、過去の経験や価値観に囚われたり、古くからの因習になじんで改革についていけない心理をあらわします。人間何事によらず、今までやってきたことを変えるという場合には、相当な勇気が要るものだが、これは「出来るなら、今まで通りの方が楽でいい」という心理状態でもある。
タイプDは「カオス(混沌)」。この心理は、やらねばならないことがあまりにも多すぎて、霧がかかったように先が見えず、何をどう判断し、どう取り組んでいいかわからず、結果として「***だからできない」と、できない理由を並べて結果として進まない。目標を喪失してしまっている心理状態であり、組織の責任者に多くみられる。
こうした4つの心理というのは、人間である以上、どんな人間も持っているものである。まさに「山中の賊を討つは易く、心中の賊を討つは難し」の例えの通りで、改革を行うとなると、こうした心理を一つひとつ克服していかなければならない。
もし私たちが改革に向かって一生懸命努力していたとしても、我々の意識の中のまったく気付かないところで大きな落とし穴、盲点があり、そのために改革が進まないとしたらどうだろうか?
以前、ある会社のサラリーマンである筆者の友人がこんな話をしてくれたことがあった。「我々組織人は、やることは簡単さ。我々の仕事というのは、ちょうど上司から塗り絵の宿題を与えられて、その決められた枠の中を塗り残しなく奇麗に塗った者が誉められるんだ。塗り残しがあると評価はマイナス。一番いけないのは、枠から飛び出て塗る人間。どんなにそれが良いことでも、枠から飛び出て塗ると、上からも周りからも叩かれる。それが組織なんだよ。」一見なるほどと納得できる話だが、よく考えてみると果たして、これが正しい意識、理想的な意識といえるのだろうか?この話を聞いて私は「確かに現実はそうかもしれないが、果たして本当にこれで組織全体が回っていくのか? 成長発展していくのかな?」と大いに疑問を感じた。
図 評価される仕事・評価されない仕事
人間だれしも誰かに認められたい、評価されたいという心理はつきものである。特に大組織になればなるほど、人事効果や組織上の評価が内向きで行われ、どうしても「お客様に喜ばれる仕事」、「自分として納得のいく仕事」、「理想に燃えた仕事」、「社会的に正しい仕事」とは食い違った次元で評価が行われることもしばしば見受けられる。勢い「上司から認められる仕事」「組織の中の周囲から認められる仕事」を優先してしまう意識が芽生えてきてしまうのである。
ある学者がこんな実験をおこなったことがあるそうである。ある透明のガラスケースの中にノミを入れ、そこに蓋をしてどうなるか?その後の経過をみたのである。ノミは強力な脚力を持っていて自分の体長の数百倍の跳躍力があるという。人間に例えると東京タワー(333m)を超えるぐらいに匹敵するという。そのため、蓋が天井のように邪魔してしまう箱に入れられたノミは、飛び上がる度に天井の蓋にぶつかり、また飛び、ぶつかり、また飛びを繰り返したそうである。そして、しばらくして蓋をはずすと、(ぶつかる蓋はもうないのに)どんなに一生懸命飛んでも、もはや蓋よりも高くは飛べなくなったそうである。
もし、これがノミではなく人間であったらどうだろう。漢字の語源は、恐ろしいことを教えてくれる。「人」がその周りを「口」で取り囲まれてしまうと「囚」、つまり囚われた状態になってしまうのである。この話は大変恐ろしい話である。こうした囚われた状態というのは、もはや本人は気付かない。そして、いざ飛ばなければならないときには、飛べる能力や可能性までも奪われているのである。
それでは、こうした「囚われの意識」は現実の社会の中ではどのようにあらわれているのだろうか?組織には、常に評価と昇進・昇格、そして報酬がついて回る。つまり、上が評価しないもの、認めてくれないものはなかなか手をだそうとしない。また、仮に手を出しても報われない。だから、結果としてその枠から踏み出せない。踏み出さなきゃいけないと分かっていても踏み出せないのである。
創業期の頃であれば、目標もはっきりしていたし、全員が一丸となってやる喜びも感じられた。自分たち一人ひとりが経営者の発想で仕事に取り組めた。つまり「全員経営」になっていたわけである。
ところが、組織が大きくなり機能毎に細分化されていきますと、全体が見える人がいなくなり、全体の中での個々の役割や目的も見えてこなくなる。結果として、目先の枠の中の課題を、こつこつとやって行くということになる。とりわけ同質性が高い日本のような社会では、内向き意識が強くなり、こうした傾向はより強いといえよう。
これは、ちょうど一人ひとりが、たこを取るときに使う「タコツボ」の中に入ってしまっていると言える。つまり、入り口が小さく、外を見ることが出来ない。自分のことだけで、回りがどうなっているのか判らないという状況である。「家族もある。子供の教育費も、家のローンもある。ここは一つ慎重にやって、退職金を貰うまではジッと我慢でいこう。言われたことを要領よくこなしていれば、どうにかなるだろう。どうせ会社は潰れるはずない。」といった意識が裏側に潜んでいる。
また、自分が与えられた枠を越えた課題、自分の力の範囲を越えた問題は、「あれは私の責任じゃない。私の課題じゃない。本部や本社が動いてくれないと解決しない。」とか、あるいは「政府が悪いんだ。一体政府は何をやっているんだ。」と課題を認識していながら、他人の責任つまり「他責」して自ら働きかけることもせずに逃げてしまう事が多い。
あるいは本当は真っ先に解決しなければいけないはずの本質的な課題は、「難しいから」とか、「調整が大変だから」とか、「他部門との摩擦や利害対立があるから」、「やらなくたって怒られない」という理由で後回しにされ、その結果長い間にどんどん大きな問題として膿がたまり気付いたときには、もはや手遅れというようなものも多いのである。
さて、このような意識が組織的にはびこってくると、組織は徐々に硬直を始め、さまざまな症状が随所に見えてくる。これらはいずれも改革を阻む組織の病といえる。あなたの組織はいくつ当てはまっているだろうか?
【組織にはびこるGHOST現象】
◎上司と部下の意思疎通が出来ていない。
上は下の意見を聞こうとしない。結果として現場の実態が
つかめなくなる。
◎やたらと上を向いて仕事をする。
上からの評価を気にして、思ったことが言えない。ヒラメ現象。
◎組織全体の動きが見えない。
◎組織と組織の壁が厚い。
セクショナリズムがはびこり協力できない。
◎組織全体の目標を見失う。
企業の場合であれば、「お客様」が見えなくなる。
◎弱いところにしわ寄せが来る。
声の大きなところ、力の強いところの意見がまかり通り、弱いところにシワ寄せが来る。
◎決めるべき人が決めていない。
トップなど意志決定がうまく行っていない。方針・理念が不明確。
◎現場を知らないスタッフが机上の案で現場を動かそうとする。
◎建て前や形式主義がまかり通る。
◎(特に上層部の)公私混同がはびこる。
こうした現象は、組織の活力と覇気を失わせ、個々の人間の個性も奪ってしまう結果となる。しかも組織内の風通しは徐々に悪くなり、特に問題解決の最初のプロセスにあった「改革気運の醸成」における「呼応」と「共鳴」ということがスムーズに行われなくなってくる。
次の漫画をご覧いただきたい。のんびりとこたつに入って、ミカンを食べながらくつろぐ家族がいる。さも満足げで一見幸せそうだが、彼らが住んでいる家を見てみると、その地盤は方々にヒビが入り、今にも崩れそうな土台の上に建っている。鳥瞰図的に全体を見れば誰でも大変な状況だということは良く分かるのだが、家の中にいる「こたつミカン」している家族の一人ひとりにしてみれば、自分の周りの部屋の中を見る限り、危機的な状況はどこにも見当たらないから、こんなに大変な状態になっていても、特に気に留める様子もない。例えば、時にグラッと少し家が揺れたとしても、「どうせ軽い地震だろう。たいしたことないよ。」と傾いた壁の絵を元に戻す程度である。
図 こたつミカン
火事や台風のように、誰にでもわかる目に見える危機ならよいのだが、この家族のようにのんびりとこたつに入ってみかんを食べている目に見えない危機の場合を考えると、目に見える危機以上に恐ろしいものです。
今日までの歴史を振り返れば、先人の引いたレールの上をただただ効率良く早く走ればよかった右肩上がりの時代であった。しかし今日のように、先行きが不透明の時代であり、また内外から抜本的な改革を求められる時代においては、土台から変えていかないとまずい。こうした時代においては、「こたつミカン」こそが克服すべき最大の組織の病ということになるだろう。
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