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前編 志とは何か

皆さん、お疲れ様でした。
 いろいろと聞かせていただきまして、正直に感想を申し上げますと、非常にいいテーマに着眼されてるなというのが総評であります。しかもそれぞれのユニークな着眼点というところからやられてるんで非常に感心もしました。ただ、共通的に抜けてる点があるんですね。これを申し上げたいと思います。まず、皆さん、改革、つまり世直しをするということでいろいろやられれるわけなんですが、一番重要なのはなんでしょうか?
 前回、改革の草だんごの話をしましたね。3つのだんごがあって、串刺しになってるというやつ、あれを思い出してください。
 一番下、これはいかに食うか。それから2番目、これは自分として個性とか、あるいは生き甲斐とか、なんのために生きるか。3番目は社会とのかかわりで、社会にどう貢献するか、あるいはお役に立つのか、これを全部串刺ししてるのが1つの人生であったり、事業であったり、一貫した、いわゆる人生のテーマですな、追求していく。実は私、高齢化のプロジェクトをずっとしてましてね、まさにこのことがこれから日本人には全員いるんじゃないかなと、最近つくづく思ってるんですよ。
 どういうことかというと、日本の社会って、いままで持たれあいの社会、あるいは大きな組織に依存する社会。その中で、例えば大企業に勤めて、その大企業の中でずっと生きてきたという社会でしたね。ですから、親方日の丸とか、自分たちが自立してなにかするとかいうことじゃなくて、結局、どっかに身を預ける。お上が悪いんだとか、会社が悪いんだとかっていうグチにもつながってくる。 ところが、いまの環境を見ると、会社も終身雇用で最後までいられるという時代じゃなくなったわけですよ。いま45歳前後の人たちというのは非常に困ってるんです、大企業の中で。いつクビ切られるかわからないという不安の中で、(リストラと称して)実はそういう会杜もたくさん出初めている。
 でも、いままで「寄らば大樹」できてたんで、自分がどうやって食っていくのか、あるいは自分のスキルとか、全部ないわけですね。営業なら営業、経理なら経理、人事なら人事という単一の職能の中で育ってますから、その職能としてのプロではあるけども、外へ出ていったときに、しからば、一人で生きられるかというと生きられないわけですよ。

自立の必要性

 仮に皆さん、いま、なんか事業を始めたいと思われたとしますね。平均的な開業資金っていくらかかると思います?八百屋でも、ラーメン屋でもいいです。これは中小企業庁が出してるデータですが、2000万円といわれてます。つまり、皆さん、2000万円の貯金、ありますか。あったら、それを全部叩かないかん。日本の場合はそういうお金がないから、全部借金で賄うわけですね。
 そうすると経営がものすごく苦しいわけです。つねに金利だけ払っていかなきゃいけない。となると余裕持てなくなるから、経営者もつねに頭にあるのは、まず借金の返済、それから手形が落とせるかどうか。手形落とせないと不渡りで倒産しますからね。それから来月の人件費、つまり、給料が払えるのかどうか。つまり、総合的な資金繰りです。それと税金の問題です。
 (中小企業の経営者の)話聞いてると、大体8割、9割はみんなそっちのほうに頭がいってて、肝心の事業をどうするかとか、お客さんにどう貢献するかっていっのはもう後回しになっちゃってるんですね。そっちのことでもう、頭の中が一杯でね。
 揚句のはてには、食うためにどうもうけるか。そのことをやるために、どう自転車を操業するのか。だから、売上を上げなきゃいけない、利益を上げなきゃいけない。こっちのほうに意識がどんどんいっちゃってるんですよ。だから、さっきから言ってるように、お客さんのことを考えずに、手前勝手な都合を全部お客ささんに押し付けていく。

 こうしたことは何も経済だけの間題じゃありません。一社会人としてもなかなか自立しておりません。例えば親の面倒は、私どもの老後は大体長男の嫁が見るもんだって、もっ基本的に決めきってます。ところが、いろいろ高齢化の問題を研究していくと、実はそつじゃな。
 (昔の大家族時代と違って)家族で面倒見ようと思っても、家は狭いし、第一、少子化時代では、子供の側の負担も重すぎる。
 しかも家族で面倒みると親子関係、あるいは嫁姑の関係で甘えが生じて結局長続きしないケースがでてきます。
 例えば、老親の側は自立しておらず、こどもに甘えて「こっちは、介護はするもんだ、お前がするのがあたりまえだ」と。しかし昔と比べてやろうにもお世話できなくなっている。
 物理的にできません。なぜならば、いま奥さんが働かないと家計のやり呼りができないですよね。これだけバブルが弾けて、子供の教育費用、ローンもある。それを支えていこうと思ったらまず仕事に就かなきゃいけない。しかも、女性も自分自身のやりがいを持ちたいという自己実現の欲求が出てきた。そうしますと、ムリに仕事をやめて仮にお母さんの面倒を見たと、おばあちゃんの面倒を見たと。そうすると確実に収入が減ります。生活ができなくなる。要するに年寄りの側にも自立が求められてくるわけですよ。
 健康なお年寄りにもいえることですね。「一体なんのために生きるのか。」そのテーマがないんですよ。だから、仕事をやめた途端、やることがないから、盆栽いじりやるか、あるいは孫の世話するか。孫の世話もしすぎると、お母さんから怒られるわけですよ。「おばあちゃん、いつもそんなことやっちゃダメよ、あまやかしちゃダメよ」って怒られるわけですね。じゃ、どうするんだ。いままでの社会っていうのは、人生60年社会でした。ですから、定年後、ほとんど5年すれば、まあポックリ逝ったわけですよ。ところが、80年ということはプラス20年。20年間、ものすごい貴重な時聞が手に入ってくるわけね。しかも、昔のように貧乏な時代と違って年金とかなんかが充実してるから、まあ、多少なりともなんらかの活動ができるだろう。ところが、やりがいがない、やるテーマがないつそうすると困っちゃうわけですね。
逆にいま忙しく働いてる皆さんでも、例えば趣昧でなにをやりたいか。困るのは、日ごろ、やりたいことってぽとんど考えてないんですよ。そういうふうに仕組まれちゃってるんですよ。もう小さなころから。塾へ行かなきゃいけない、勉強しなさい、勉強しなさいって。お母さんに「勉強はなんのためにするの?」って聞くと「いい学校に入るためよ」。「なんのためにいい学校に人るの?」っていうと「いい会社に入るためよ」。「なんのためにいい会社に入るの」っていうと「いい仕事に就いてね、どんどんえらくなりなさい」って。「なんのためにやるの?」「いい老後をおくってね」と。「それはなんのために?」って、「それは死ぬため よ」って。「なんのために」の本当の答えがどこまでいったって出てこないんだね、これ。そういうことでしょう。

管理社会の中での人生

 要するに、何々をやらなきゃいけない、やらなきゃいけないって、ずっと我々の頭に積め込まれてる。これを世間一般では、ものの本では「管理社会」と呼ばれてる。だから、やりたいことなんてやってないんですよ。やりたいことやってるように見えるんだけど、それは全部マスコミとか企業に踊らされてるわけね。やることがない。やることがないからビデオでも見ようか、映画でも行こうか、食事でもしに行こうか。「〜でもしようか」でしょう。これじゃ、本当のやりがい、充実感ていうのはないはずなんですよ。
 日頃我々は、じゃ、どういうことをやってるのか。
まず第ユに「やらなければいけないこと」。これは「義務」ですね。あるいは、「しようがなくてやること」、これは必然的なものね。たいていはこれなんです。ですから、「義務」「必然性」それともう1つ、自分の力ですぐにできること。これは「可能性」というやつですね。あるいは能力があるか、お金があるか、時間があるか。できそうだから、簡単だからやることです。

 この講義ではこういうものを資源と呼びます、あることを成すための。ですから、やりたいことをやってるんじゃなくて、やらなきゃいけないこと、義務。あるいはしようがなくてやること、必然性。あるいはできること、その中で。だから、極端な話、我々が持ってる個性とか潜在的な可能性っていうのは、やりたいことをやらなかったらできないんですが、それができてないんですね。人間の可能性開発ができてないんです。
 しかし、たとえ「やりたいこと」といっても、すぐできることとは限りません。当然、長年の準備や緻密な計画をくんだり、多くの人と協力しなければならなかったりします。そして挑戦といいますか、つまりエネルギーがいる。
 失敗のリスクも伴う。要するに「楽する人生」を選ぶか「チャレンジしてやりたいこと」をつかむかという価値観の問題に最後はつながってくるでしょう。
 実は京都政経塾に皆さん、入られて、この「やりたいことを開発する」機会を得たというのはものすごいことだろうと思います。なぜならば、皆さんは、まず自分が健康であって、なおかつそういう興味があって、なおかつ試験に受かって、なおかつこういう仲間がいて、場所が与えられて、しかも、経済的に困ってたらこんなとこ来れませんし、家庭の環境が困っていても来れませんし、非常に恵まれた立場であるんだろうなと私は思います。それだけに、ぜひとも生き甲斐、あるいは人生の遺、一本串刺しをするこの串を3つのだんごを一緒につくっていってほしいなと。(楽なことではないですが)それが人生を充実させ、感動のある生き方につながります。

 いま改革のテーマの話をしましたけども、実はそのことが全部含まれてます、この(話の)中に。どういうふうに含まれているのかというのを、まず、皆さんには研究テーマのまとめ方という実践的なノウハウをお話して、このあとの時間、じゃ、どう人生の志を確立していくのかという、そのへんの話をします。ですから、前段は実践的な手法、ノウハウです。

政経塾の教科書はなかった

 私このテーマを考えるのに、いままでの私の人生をじっくりと自省し、その経験とノウハウをもう総動員して捻り出しました。本当、苦労しましたよ。(笑い)
 実をいいますと、政経塾ができてからもう15年近くたつんですが、ある人が政経塾のカリキュラムのことを称してこう言いました。「1年間で缶詰1個もできないような生産性の悪さだ」と。
 政経塾の教育の目的は、一言で言うと「世直しのための、改革の志の確立とその練磨」、つまり今日ここでお話ししている話です。その生産性が悪いのはなぜなのか?ですよ。間題は。で、私自身、思ったんです。なぜなんだと。それは仕方がありませんね。なぜかというと、松下幸之助塾主は、世界中どこにもない学校をつくったんですよ。で、つくったときのその趣旨を聞いて、ハーパード大学の高名なガルブレイスさんをはじめ海外からもいろいろな方がわざわざお見えになって講義をしていただいたぐらいです。
 それぐらい全世界から注目されてます。ある国なんかは、自分の国を建て直したいがゆえに、そういう人材育成機関をつくりたいということで、わざわざ政経塾に研究に来られるということなんです。世界で一番初めにやって、世界で最も尊いことをやろうとしていると、設立趣旨にそういうことを書いてあるんですね。私ども政経塾に入ってきた人間も、その思いに共鳴して入ってきてます。
 ところが、入ってきた瞬間に、なにもないことにハタと気付いた。確立したマニュァルも教育ノウハウもない。毎年ころころと変わっている。その度に、塾の職員と塾生が毎年大喧嘩しているのです。
 これは、なぜか?考えました。塾のマネージメントをしてくださる職員の人たちっていうのは、最初、松下電器からの出向の方々でした。先ほど言ったように、やらなきゃいけないこと、どうしようもないこと、できることっていう中で一生懸命サラリーマン、組織人をやってきている人たちです。
 だから、その人たちなりに大きな使命感を抱きながらも、まずは、自分たちのやれることをやろうと。そして早く政治家を何人送り出すか。これを1つの尺度としてやろうということで一生懸命がんばってこられました。(少なくとも私にはそう見えました。)つまり人問の性として限られた時間の中で周囲に少しでも認めてもらおうと歩留まりを追ってしまうわけです。
 ところが、やっぱり限界があるんですね。(黒板に「人材」と言う文字と「人物」という文字を書きながら)本当に求めようとしたのは、政治家が何人出るかではなくて、一人でも本物の人物を出したい。人材ではないんだと。人材の材というのは、人を材料として使うということですよ。こっちなんで。「人物」なんです。政経塾が求めようとしたのは。
 では人物っていうのはなにか。これはね、「物」っていう文字に非常に意味がある。これは、本物っていうでしょう。本物を知った人間をつくるっていうのが人物なんですよ。ですから、こんなのは世の中に一人いたらいいんですよ。その人間を大黒柱にしながら、大きな改革の渦ができますよ。だから、人数はたくさんいなくてもいい。しかし、一方で人物も少ないよりは多いほうがいいから、歩どまりを追うことも決して悪くはないとぼくは思う。
 ところが、結局その「人物を創る」ノウハウがないままにきて、ですから、政経塾はこれといったカリキュラムもないんですよ、正直いったところ。だから、職員のほうも素人、塾生のほうも素人。その素人と素人の集団が必死になってなにかを模索する中でやってきた。しかも、本当の志、改革の志っていうのは、実際、塾を出て実践経験を積み、いろんなゴースト(課題)をやっつけて、その中で初めてわかってくるものですから。当初は教育ノウハウがなかったとしても無理もなかったと思います。
 私も塾を出てからかれこれ7年近くになります。私の研究は塾にはいる前から大学時代からですから、今日までで、かれこれ合計で10年以上かかった計算になります。しかも私の場合、松下塾主が創られた松下電器の中枢で数々の改革の実践を積むという他の塾生には得難い経験をし、その結果として塾主の経営理念や建塾の想いがより深く理解できるようになり、初めて皆さんにこの話ができるようになったわけです。結局、それだけの時間がかかるということです。
 せっかく、皆さん、ここに来られてますから、1年間ですね、(学習期間の)基本は。その私が経験と研究を重ねて創ったノウハウを凝縮したものをお伝えして、皆さんに少しでも効率よく、改革の志が創れるように、ナビゲーター役をやらせていただきたいと想います。
 我々は結局、同じことをやるために試行錯誤でこれをやってきたんですよ。実は、私のこの話というのは15年ぐらいかかって考えてきたこと、やってきたこと、あろいはもっとさかのぼれば30年近く、自分の生い立ちもあるんですが、その辺の話をきょう、まとめてさせていただきたいと思ってます。
 ですから、いろいろと私個人のこともしゃべりますが、ご容赦いただきたいと想います。

 

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