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次代に向けた全社的再生運動

●続々金融事件簿『基本を忘れ暴走した経理』(高橋 万見子氏)
朝日新聞 (1997年7月2日号)


 深い緑色の革表紙に、金色の初版の文字―。松下電器産業の経理部が今年四月に発行した「経理社員育成ハンドブック」である。58ページにわたる雑誌大の冊子には、「経理社員制度」の基本姿勢、運営指針、担当者の育成方法などが細かく記されている。
 「経理は全社一貫した統一方針に基づいてやっている。・・・経理規定に反したことを要求された場合、それを拒否することができる経理マンでなければならない」。松下の経理部門を体系化した元会長の高橋荒太郎氏(93)の言葉が引用されている。
 松下グループを巻き込んだ金融スキャンダルの原因の追及と、再発防止の強い意思が、この冊子を作らせた。「『原点に返ろう』という経理本部の集大成だ」ど、経理担当の松田基常務(60)は説明する。

債権3千8百億円

 「産業人たるの本分に徹し、社会生活の改善と向上をはかり...」大阪・北浜証券街のはずれにあるビルの三階にエヌ・エル・ファイナンス(NLF)の本社がある。松下が100%出資する債権回収専門会社だ。毎朝9時の始業とともに、松下の創業者である松下幸之助氏が定めた「綱領・信条」を暗唱する。松下グループの共通の光景だ。
 前身のナショナルリースはもともと、松下製品のリースが本業だった。1991年9月、巨額の金を株と投資につぎ込んでいた料亭の女将、尾上縫への不正融資が発覚し当時の融資担当主任が、背任容疑で大阪地検に逮捕・起訴された。同時に、不動産会社や建設業に貸し込んだ百億円単位の融資案件が、いくつも表面化した。ナショナルリースは融資業務から撤退し、残った三千八百億円余りの債権が新会社のNLFに引き継がれた。
 本社の管理体制が問われ、翌年3月には、関連外社担当の佐久間副社長(65)が退任、経理部門のトップだった平田雅彦副社長(66)も取締役に降格された。
 平田氏も育てられた「経理社員制度」は松下グループの独特の専門職制度だ。国内外に散る約1800人の経理社員の異動や任免、出向は、人事部ではなく、経理担当役員が権限を持つ。いざとなれば上司に対して是々非々の立場から直言できるように、身分を保証する仕組みだ。「経理は企業全体の羅針盤だ」と言う幸之助氏の考えに基づいている。経理部門に経営のチェック機能を期待した制度だった。

財テクへの前向き

 ナショナルリースでも融資担当の副社長、常務は経理の出身者だった。だが、「営業出身の社長は『総合金融会社を目指す』と意気込んでいた。経理のルールを踏み外して、過剰な融資に走っていく過程を、だれも止められなかった」と、当時を知る関係者は振り返る。
 「守りの経理から攻めの財務への転換」を掲げて、当時経理部の改革を過めようとしたのが、「松下の金庫番」と言われた平田氏だったという。
 常務就任後の八七年には、経理部としてコンピューターの欲極活用などを打ち出した「ビジョン90」を策定。六十一億ドルにのぼった90年の米大手映画会社MCAの買収では、自ら旗を振り交渉をまとめあげた。二兆円の手元資金を生かすための財テクにも前向きだった、という。

繰り返す不祥事

 「経営をこんな状態にしたのは経理が悪い。本社経理が乱れたから、事業部や子会社もおかしくなった」。93年2月に就任した森下洋一社長(63)が、最初の経理責任者会議で述べた言葉は、松下の経理担当者の間で語り継がれている。
 ナショナルリースの事件発覚から6年近くたち、松下は今年5月に発表した決算で、財務的にもケリをつけた。NLFが引き継いだ松下の貸付金一千億円と出資金四十億円を放棄、特別損失に計上した。松下がナショナルリース関連でかぶった損失は二千三百四十億円にのぼる。今後一、二年のうちに、NLFは清算することも決めた。最終的に残る一千働円程度の追加損失も全額負担する方針だ。
 「攻めの財務」を掲げてバブル時代のマネーゲームに狂奔したのは、ひとり松下だけではない。商社や百貨店、スーパーなどもそうだった。それぞれの企業は巨額の不良債権を処理する過程で、担当部門の責任を問い、そのトップを降格あるいは解任した。
 バブル崩壊後も繰り返される金融スキャンダルの数々は、そうした社内組織だけでなく、日本の企業経営の根幹に構造的な「病巣」があることを物語っている。


高村薫が読む

 

(たかむら・かおる=作家)


 2001年の金融ビックバン以降、金融機関が直面する大問題のひとつは、巨額の資産を築いた日本の大手企業が、いづれ資金の調達先としての銀行を必要としなくなっていくことだという。資金力をノウハウさえあれば、企業自身が自前で資金運用を行なうことも、企業の利益になる。
 しかし、カネがカネを生むという発想は、誰もが持っていてもいい発想ではなく、だれもが実現できるわけではない。OLから主婦までが財テクに走った時代、日本中が錯覚したのはそこだ。地道に本業にいそしんでおれば発生するはずのない、膨大な不良債権を抱えることになった金融機関はもとより、土地や株への投機に失敗した企業はみんな、元手さえ出せば確実に儲かるというとんでもない夢をみつづけた。 
 ナショナルリースもそのひとつだが、そもそもリース事業のために設立された子会社が、企業の財テクの先兵になるにあたってどれほどの確固とした戦略とノウハウがあったのか。銀行でさえ、土地や株価の右肩あがりに乗じて漫然と貸し込むだけだった時代に、ナショナルリースが特別な見識を持って、融資事業に携わっていたとは思えない。そもそも、企業の土台である財務が、ほかの事業部から独立した立場で企業の資産を勝手に運用することなど、わたしが経営者なら断固拒否する。事業会社においては本物のモノづくりや商取引がカネをうむのであり、資産運用も、本来の事業に貢献するものでなければ、本末転倒ではないか。だいいち、そんなに金が余っているのなら、株主への配当に還元するのが先だ。

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