松下幸之助の『商いのこころ』
まずはじめに、松下幸之助氏が、行きつけの散髪屋さんの、商売に対する徹
底した姿勢に共鳴、感動し、みずからのあり方を反省させられたという話から
お聞きいただきましょう。
私は、きょう朝、東京で散髪に行ったんであります。で、その散髪の主人公、銀座並木
通りの「米倉」という散髪屋でございますが、その時にいろいろその人から話を聞かし
てもらったんです。その話のうちの一つにですね、こういうことがありました。
「松下さんね、私はこの間、ある会がありまして、その会に行って自分は話をしまし
た。その記念に、その会員に、ふろしきを配ったんです。そのふろしきにこういうこ
とを書いたんだ」と。「どういうこと書いたんですか」と言うと、「業即信仰」と書
いたと言うんですね。これをみなに配って、それで自分はその説明をしておいた。
非常にみな喜んでくれたんだというような話であります。
「それは非常にいいことですね。まあ具体的に言うと、どういうことですかと言うと、
「自分の業に信仰を持て」ということなんです。「まあいろいろ信仰ということは、
非常に大事である。仏教の教えるところである。まあ信仰は一番大事なものであると、
こういうように自分も教えられている。しかし、そういう点から自分は、自分の業に
信仰を持たないかん。業即信仰である。こういうようにまあ、自分は考えて、私は、
自分の業に信仰を持つということは、自分の仕事を認めてくださるお客様、利用して
くださるお客様、これが仏さんである、これが神さんである。業即信仰は、自分の
お得意さんを神さんとも仏さんとも拝んで、それに信仰するということに通ずるんで
すよ。
これやったら商売は、もうめったにまちがいはございません、必ずうまくいきます。
これは散髪屋だけやのうてもですね、あなたの会社でもですね、どのお店でもですね、
その店の店主なり社員の方が業即信仰であるというようになられたならばですね、ま
ちがいないと自分は信じたから、そういうことをふろしきに書いて、その説明をして
みなにあげたんです。当時集まっておった多くの人が、いいこと聞かしてもらったと、
まあいうことで喜んでくれたんです」という話を聞いたんです。
で、私は、ほんとうはこの歳になるまで信仰というものにつきまして、深いものを持っ
ておりません。実際において信仰というほどの内容については、みなさんに申しあげる
何ものもないんであります。しかし、本日うけたまわったことから .多少感じますとです
ね、やはり信仰というものは、何としても非常に大事なもんである。大きな心の支えで
ある。神様を信仰する、仏様を信仰する、そういう信仰心のないものは決してまっとう
な人間生活というものはできるもんではないということを考えられます。で、そうい
えることはいいが、即、手短にですね、自分の仕事を信仰するということが、非常に
手っ取り早くていいんだという意味の話を、その方がされるんであります。
で、私は、そういう話聞いて、私自身が仕事に信仰を持っているか、業即信仰の心境に
なっておるかどうかということを考えてみますると、はっきりと業即信仰というような
境地に行ききってないと思うんであります。まあそういうところに商売をしていく上に
迷いがあったり、いろいろ思案に余ることがございます。これは当然そうであったろう
と思うんであります。
しかし、きょうは散髪屋さんに教えられたんでありますが、これは散髪屋さんの声とい
うよりも、神の声と聞いた方がいい。この人の体験を通じて感じたことを言われたんで
ありますけれども、それは神の声かもしれない。あるいは仏さんの声かもしれない。
何よりも自分の職業に信仰を持ってやれ、そして客を大事に扱え、それ以外に幸せの道
はないと、そういうようなことに徹していくならばですね、やがて神さんも仏さんもで
すね、いろいろこれを助けてくれるだろう。
きょうは散髪屋へ行きまして、まあ非常にそういうことを教えられました。みなさんに
おかれましでもですね、あるいはそれ以上徹したものをお持ちになっておられるかも知
れませんが、みなさんの毎日お仕事をしておられるその仕事にみなさんが信仰をお持ち
になる、というような状態になられたならばですね、私はその散髪屋さんが多くの人を
育て、そしておおむね成功さしておられるような業績をあげておられることを考えてみ
ますると、みなさんのその態度からいろいろの人が育っていくんやないかと思います。
みなさん自身も育て、かつ部下の方、同僚の方をば、いい道に導いていくという乙とに
なるんやないかと思います。
〈昭和43(1967)年1月22日 松下電器社員への話〉
【解説】
お得意先を神様とも仏様とも拝んで大切にし、自分の職業に信仰を持って徹
底して打ち込むならば、商売というものは必ずうまくいくものだ、という散髪
屋さんの信念に、松下幸之助氏は、自分は果たしてそれほどの境地にまで達し
ているだろうか、と反省させられたというのです。
お互いが自分の商売そのものを、信仰するというほどに大事にするならば、
この散髪屋さんのように人も育ち、商売もうまくいって、幸せへの道もひらけ
てくるだろうというわけですが、その点、みなさんの場合はどうでしょう。み
ずからの仕事、商売に、どれほどの思いを持って打ち込んでいるか、あらため
てふりかえってみてはいかがでしょうか。